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□餓虎
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 熱が引かない。
脈打つ心臓の悲鳴にも近い打音が低く低く耳の奥底で、絶えることなく唸りを上げる。頬に、具足から覗く首筋に乾き始めた血がこびりついているとわかっていても、拭う気になれないのは。
「………は」
 零した吐息が、熱かった。
拭う気になれない、零した吐息が熱い皮膚の内側を熱が流れ続ける。頬をなぶる生温い風は、皮膚内に籠る熱気を煽り立てこそすれ奪い去りはしない。瞼をとじて、とんと背中を茂る木の一つへ預けた。背中から伝わる歪な幹のおうとつも何も、気にならないどうでも良いからとにかくこの熱が鎮まってくれるのを待つしかないんだ俺は。瞼をとざした先に広がる余りにも茫洋としすぎた暗がりへ身を浸せば、籠る熱が鎮まってくれるような気がして心臓の悲鳴も収まるような気がして。
 ぬめる槍がひどく持ちずらいことを、初めて知った。喉から空気が抜ける音を初めて聞いた他人の骨が砕ける感触を初めて知った連綿続く読経の連なりが俺自身の声だとは思えなかった全てが全て、ほんの少し前にあったことでありぬめる、槍、濡らすものは赤く赤く赤く赤く赤く黒くどこまでも鮮烈なまでに深いあれは、小さな痛みも厭わず頬の内肉を歯が千切る。肉を微か、千切り取られた内頬溢れる塩気と甘みの織り混ざるそれを舌先が知る。舌で転がし味わうように幾度も幾度も、槍を俺の手を濡らしていた赤く赤く黒くどこまでも鮮烈なまでに深いあれと、同じもの。血。頬にこびりついたそれを拭うことなく、舌先で味わうことを止めもせず。甘い、ひどく、甘い気がする。
 熱を煽りたてるのみの甘い陶酔だと知っていても尚、舌は口腔を嬲り続けて熱を孕む呼気が零れる。
「………ん……」
 甘い陶酔に、耽っていた。
 血を知る舌先だけに、全てを注いでいた。ああそうだだから、
「殿さんとこに、詰めとらんでもええの?」
 気づくことが出来なかった血に耽る頭へ鈍く染みて行く軽薄な声、今の、今まで。
末端に至るまで全部が全部鈍くなってしまったような体でどうにか、首をもたげさせれば真っ直ぐ暗がりの中、明かり一つ持たずにやってくる狐目がいる。明かりは無い、俺の手元にも無い、だから月だけが唯一の光源当然、顔なんて判別出来るはずもない。それでも、分かる、陶酔に耽る頭が囁いてくるからあいつだって、教えてくるから。
「今日は、疲れてるだろうから、休んでて良いって言われたんだ」
「あら、そうなん?てっきり取り返しのつかんぽかして、放逐されたんかと思うたわ」
「俺が…そんなことするか。あんたじゃないんだ」
 宇喜多家とやらの使者で藤吉郎様の所まで来たんだろうな、妙に軽装なそいつはいつもの変わらない調子で真っ直ぐにやってくる近づけば、近づくほど、空から落ちてくる明かりに浮き彫りにされる狐じみた細面の顔。
 熱が、引かない。
「逆にあんたなら、下手な失敗して放逐されそうだな。いっそ、そのまま死んでくれたら嬉しくて涙が出てくる」
「えげつないこと言いよるねぇ、お虎は。ボクがほんまそないなことなってもうたら、寂しいと違うん?」
「誰が。さっさと死ねよ」
 耳奥で軋む心臓があいつが近づけばそれだけ、壊れていきそうな音をたてる鈍く、低く熱を全身へ撒き散らす。陶酔に耽っていた頭はどんどん深く、深く深く深く沈んでいきそうであいつの声が鼓膜に触れただけなのに。強く、軋む、悲鳴か狂喜か。
「嫌やわー、ボクまだ死にとうないし。せや、それに今はボクのことはどうでもええやん」
 明かりが、消えた。
月が雲に隠されたから幾重にも折り重なったような雲に月は隠され俺は、あいつに隠される。俺の前へ立ち塞がる小西弥九郎に隠される。多分きっと、いつも通り狐みたいな面のままなんだろうな薄ぼんやり、熱の片隅で思おうとも、鈍い頭は口腔に広がる甘みを追慕し続ける。影が一層深くなってそれは、あいつが腰を屈めたから俺へ顔を寄せてきたからだから、影が濃くなるそれとあともう一つ。
「今日、初陣やったんな?」
 熱がざわめいた気がした。


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