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□雨落つる笑み
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 皮膚で受け止める雨粒は、ひどく温い。
 不快を通り越したずぶ濡れっぷりを発揮する小袖から雨水を滴らせるがまま、門を潜る。一緒に川まで連れていっていた郎党共を全員帰した今、アホのように上から下まで雨に侵された人間は大股で屋敷に向かう俺だけだ。ああ、さっさと着替えて飯でも食いたいな畜生。
 足元跳ねる雨粒が水たまりを踏んだからなのかそれとも、空から落ちたものなのか果てや髪先から笠の先から顎から指から小袖から滴りおちたものなのかその判別すら、もうつかない。しかし、それでも。
「お帰りですか!」
 これを、雨音と勘違いするなんてことはさすがに無いな。
 がらりひらかれる屋敷の戸、男も女も見慣れた顔ぶれが揃いも揃って。
「あちゃー、濡れ鼠じゃないですか!」
「早く中に入ってくださいよまったく!」
「あー、わかってるわかってる」
 わらわらわらわらと。
「わかってるなら、もっと急いでるっていう姿勢を見せてください!」
「うるせーなぁ、お前らは」
 屋敷から門まで俺を迎えに出てきた連中を伴い歩く、短い屋敷までの道のりその最中でも取り敢えず交わすべきやり取りがある。適当に片手で、忙しなく言葉の幕を張ってくる奴らをいなす俺を覗き込むのは、年を理由に今日様子見へ連れていかなかった奴だ。親父の代からいるそいつの目がちらり見やるのは俺の後ろつまり、あれだな、川のある方角。
「若頭、どうでした川の様子は」
「ああ、ありゃ暫く仕事は出来ないな」
 笠と蓑を屋敷へつづく戸をくぐり際、傍にいた適当な奴目がけ押し付け歩む廊下。
ここ最近の大雨で川がどんなことになっているのか様子見にと出かけた俺が目にしたものは、増水した川の様でありあの分じゃ運送業なんざ出来るわけもない。治水なんてものは俺達の仕事じゃない。だから、水が引くのを待つしかないそれが、俺が今日見に行った俺の下した判断だったわけだが、おかげで全身ぐっしょりなわけだがああいや、これは別にどうでも良い。さっさと拭いて着替えればどうにでもなる。
「ちょっと着替えてから、親父と話したい。誰か、布と着替え持ってきてくれ」
 さすがに、このまんま親父と会うわけにもいかないしな、さっさと拭いてさっさと着替えて俺の目配せを受けた奴が目を瞬かせた。一度だけ、はてとでも言いたげに。
「はら、着替えならもう持ってこさせるよう言ったはずなのだけど…」
「おお、そういや言ってたな」
「誰にだったか」
「えーとです、ね」
 俺を置いて勝手に話進めるなっつの。
疎らに言葉を置きあった果て、結果が出たのかもしれない最初に俺が声をかけた奴が両手を軽く叩いたから。両手を叩いて少しだけ眉をしかめて険しい、そう表現できる色を孕んだ目が俺じゃない、更にずっと向こう廊下の先を映していた。子供ですよ、と。
「子供?」
「あの子供です。若頭が拾ってきた、愛想の欠片も無い子供。ただ飯食わせてやるわけにもいかないから、手始めに帰ってくる若頭の世話しろって言ったんですよ?ちゃんと、着替えと布のある場所教えたってのに。どうしましょうかね」
 俺が拾ってきた、子供、雨音に紛れる沈黙が導き出す答えは一つだけだった。
「ああ、あいつか」
 なるほど、確かに俺があの餓鬼拾ってくるのに反対してた奴は多かった上俺自身、何で拾ってきたのか良くわからないからなぁ、こいつらが怪訝と険しいと不満を織り交ぜた色の目をしてる理由は、分からなくはない。それになにより、濡れた指先でなぞる頬。未だにぴりと痛む浅い一筋の傷、これを初見でいきなりつけてきた餓鬼だ。頬へ触れ連中の険しい目に晒され零れたのは、喉を鳴らす苦笑だった。ただ飯食らいとは良い度胸じゃないか、あの餓鬼。
「若頭?」
「親父に、ちょっと待ってろって言っといてくれ」
「はぁ、構いませんけど。どうするんです、というかそんな恰好でうろついたら風邪ひきますよ若頭ー」
「こんくらいで引くかアホ」
 迷い無く連中へ背中を向けた。
引き止められる前に他に何か言い連ねられる前にさっさと行ってしまえ大きく踏み出してしまえ。濡れた足が踏みこむ度に濡れた足跡が水滴の軌跡がついていくが一切構うことなく、例え目をとじたとしても歩ける廊下を前へ前へ前へ背中へ、微かながらも投げかけられていた風邪ーなんて声は、もう微塵も残っちゃいない。大股で行く廊下の前で、うざったい前髪を適当に掻き上げる。雨音がくぐもり届く一人分の影だけが、油皿へ灯った明かりに黒々染みる廊下で歩むのを止めた。
 何となくな、わかるんだなこれが居そうな場所くらい。俺の着替えを持ってもこず、ただ飯食らいの餓鬼一体何処にいるのか、くらい。あー、なんて無意味な声を零しながら頭をまた無意味に掻いてそうしてそれから、
「おい、そろそろ出て来い」



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