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□ぬるやかな昔々
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「三木城の包囲は厳重で、どないな輸送もままならん有様ですわ」
 ちっとばかし、そろそろ湿っぽくなってきたかなて思わせてきよる蒸した空気の中で、ボクはひたすら地面を見下ろす。青々草の生えとる庭その黒い地面、右耳の下で括った髪が生温い風にゆらゆらゆらゆら。
「狐」
「なんなりと」
「つまらん」
「はい?」
 あかん、うっかりや。ずーっと地面見下ろさんとあかん顔を、上げてもうたら小書院の縁際へ据えられた文机に肘を預けとる屋形様がおる。初めて会った時とさっぱり一つも変わらん、一歩踏み外したらそのまんま剣山に刺さってまうようなそないな綱渡りをしとる気にさせる目でボクを眺めてきよるわけで小袖の着流し一枚やのに、これっぽちもあの威圧感が殺がれへんのは何でやろね。
 文机へついた肘、頬杖までついて屋形様。
「面白い話をしろ」
 耳奥へ落ちて行く年不相応にしゃがれた声の命じる面白い話が、愉快な冗談の飛び交う話なんかそれともせやね、ボクが未だ屋形様にせんと懐に抱えこんどる方の話、なんか。起伏の無い面白味も無いただ湿り気帯びとるだけの風がうなじを駆け抜け屋形様の前髪もゆうるり、流しどっちの話なんか考えるまでもあらへん。後者や。
「ほな、おもろいあちらさん家の話でも」
 同時にボクは、こっちの屋形様やのうてあっちの殿さんに伝えなあかん話も抱えこんどるわけでそれこそ幾つも幾つ幾つも。口元の笑みはこれだけは、何があろうと揺るがさんように剣山が透けて見えよる屋形様の両目を、真正面からボクは映す。
 人差し指一本、目一杯の気合いれボクは立てた。
「一、加藤虎之助君の恥ずかしーい話の巻」
 次は、中指。二本立っとる指。
「二、大谷紀之やん、石田佐吉くんに五十二回突っ込みをいれるの巻」
 さて次は最後薬指やね三本目の指。背中をなんや冷たい水が伝っとるけど知らん知らん、汗?ちゃうよほんま。
「三、福島市松くん、川副こほちゃんに眉毛を剃られかけるの巻、の三本立てでどないです?」
 受け入れられへんのは分かりきっとる、ほら全然まったくさっぱり屋形様ったら目付き変えへんしじっと頬杖をついたまんまええんやそれで。ただ、ほんのちょいとばかし話を逸らす切っ掛けさえ掴めればそこからボクは、どんな風にだって話を逸らしたる。ボクの抱えとる屋形様の、殿さんの話どっちもどっちで伝えるわけにはいかへんもんもあるわけやこんな風に、際どい綱渡りしとるボクには。
 屋形様のすっかり皺の沁みついてしもうてる眉間へちょいとまた、谷が出来て頬杖をずらして、こっちの準備はもう出来とる。
「………話せ」
 そうですよねーいっくらおもろい話は話でも屋形様はこないな話聞きたくあらへんわぁいやぁボクうっかりしてもうてー…って、備えといた言葉の群れをちょいと嚥下するんに、間があいてしもうたわ。その間中ずっと、屋形様の顔を凝視しとったんやけども表情、いっこも変わってへんであの人。敢えて言うんなら、黙っとるボクにはま谷が深くなったちゅーことやけども。
「どうした。早く話さんか」
 どうしたや、あらへん。
「いやー……、意外やなぁて」
「何がだ」
 何がだ、やあらへんのやけどももしかしたら、ほんまにもしかしたら屋形様、何でボクが黙ってしもうたのか意外やと思ったのか分かってへんのかもしれんのやね、ほんまにもしかしたらのもしかしたらなんやけど。ちょいと、ボク自身落ち着くためにや、右耳の下で括った髪を弄る。くるくるくるくる。
「屋形様が、ボクのおもろい話、聞く言うたことですわ。それがちょいとばかし意外、やなぁと」
 あかん、言うたらあかんかったことかもいや、何がどうあかんとは今更説明すんのもあれやけどちょいとづつ、調子良く答えとった顔が下に落ちていく。また目に映り込むのは青々茂る草と黒い地面だけで、眼球だけ、屋形様を見上げてみた背中を伝う冷たいもんが増えた気がしたどないしよ、何や小書院の縁から黒い風でも吹いとるんとちゃうん。ボク、もしかして足踏み外す一歩手前だったり剣山が目前に迫っとる状況やったり?

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