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□炎天かな炎天かな
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 むせ返りそうになる暑さを堪える代償とばかりに、背中を絶えず流れる汗の不快さと言ったら無い。
 こんな日に限って生温いとは言え無いより幾分かマシな風も、何を怠けているんだか、吹き込んでくることもなく廊下に面した庭に群がる生命力を持て余した木々の葉を停滞させたままなのはどういうことだ。おまけに、蝉まで生命力を持て余してるのか何なのか、ひっきりなしに自己主張してるもんだから、いっそ井戸の中にでも飛び込みたくなるぞこれは。
 足袋なんざ履いてられるもんじゃない。素足の足裏が廊下へ残す曇った足跡は目指すひらきっぱなしの引き戸へ続いて、頬を伝う汗を肩口で拭った。
「おい、これ打ち水しておけよ。誰かぶっ倒れ……」
 覗きこんだ引き戸の向こうまず真っ先に飛びこんだのは、死体だった。
いや、正しくは死体もかくやなブツということだが床の間の前でありゃ、膝枕してやってんのは佐吉の奴か。小姓に膝枕させて団扇で仰がせて、自分はどう見ても虫の息ということは苦笑共々引き戸の柱へ寄り掛かる。あれだ、もう、俺の忠告は手遅れってことだ。
「殿へ御用があるのでしたら、私へ言伝を。見ればわかるとは思いますが、今の殿に受け答えは不可能です。見れば分かるとは思いますが」
「言われりゃ、確かにそうだ。今の藤吉には無理だな」
 床の間を背に、藤吉を腿へ置いた佐吉は団扇を扇がせる手を止めることなく。
二回わざわざ言う辺り故意なのか無意識なのか、ただでさえ浮かべていた苦笑を一層色濃くせざるを得ない。初対面から感じてはいたがこいつは中々に、世を渡っていくには難儀しそうな性持ちらしい。その癖俺とこうして話している間中もずっと、藤吉を仰ぐ手を止めない辺りに、苦笑とはまた違った笑いの衝動が喉元までせりあがってくるのだが零れそうになるそれを咳ばらい一つで堪えたら、さてどうしたものか。藤吉があの様じゃぁな。
「用事っつー用事も無いんだがな」
 ただ、充満する空気が暑すぎるが故に打ち水でもしておけよと、言いに来ただけなのだから用事なんて言うほど大仰なものでもない。ああ、あと付け加えるなら予感は多少あったのかもしれない。
 軽く勢いをつけ柱から寄りかかる肩を離した。ここに突っ立ったまんまじゃどうにもならないのは、さすがに分かりきっている。扇がれる団扇の余風がささやかに頬へ触れる程度の距離にまで、引き戸口から大股で歩いていけば漸く、佐吉の子供らしさが幾分か欠けている目の在りどころが藤吉から俺へと。焦点が結ばれる。
「こいつ、また調子こいたんだろ」
 藤吉の奴が調子こいて倒れていそうな、そんな有難くも無い予感だ。
「正しくは、鬼遊びをしようとおっしゃられ、庭を走りまわりこのようなていと相成りました。お止することが出来なかった責務として腹でもかっ捌こうと思ったのですが、まずは殿の裁量を伺ってからのほうが良いと考えましたので、こうして殿がお起きになるまで待っている次第です」
「はは、そうか、鬼遊びなぁ。まさかお前一人相手にやってたのか?」
「まさか、そんなわけないです。虎之助と孫六、市松…まぁいつものアホ三人と、紀之介でやっていました。殿がお倒れになった時のアホ三人の狼狽ぶりが、それは殿をご休憩させるには余りに邪魔臭かったので、紀之介が連れ出していった次第です」
「なるほど、よーく分かった。ま、こりゃ完全に藤吉が悪い。お前が腹かっ捌く必要は無いな」
 どかりとばかりに佐吉の正面で尻を落とす。丁度膝枕をされている藤吉を間に挟む形になるわけだが、相も変わらずこいつは分けの分からないことを。危うくお前の家臣が腹かっ捌くところだったぞ。


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