SS

□GS2
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 静かだなぁ……

 違和感からくる落ち着かなさを、手にしたペットボトルのミネラルウォーターを一口飲んでごまかす。

 このペットボトルだって、違和感を覚える要因のひとつなのに。

 ひんやりとした空気に、まだうっすらと残るコーヒーの香り。

 珊瑚礁が閉店して、もう一ヶ月が経ったのにね。





 冬休みをはさんだのと新学期が始まったせいで、あっという間だったような気もするし、ひどく気の抜けた時間が延々と過ぎた気もする。

 私よりショックを受けたに違いない瑛くんはといえば、平気な顔して強がって、何も変わらないフリして笑ってる。

 時間に余裕は出来たはずなのに疲れた表情は消えなくて、それがなんだか寂しい。




 マスターの意向なのか、すべてがまだそのままに残された店内で一人窓辺の席に座っていると、いろんな思いがこみ上げてきて溢れそうになった涙をこらえる。

 瑛くんが泣かないのに、私が泣いてどうするの。両ほほをパチン、と叩いて気合を入れた。




 今日は以前から約束してたデートの日だった。だけど瑛くんは待ち合わせの場所に現れなくて。

 携帯に電話しても出ないし。

 ホント、何かあったのかと思って、あわてて珊瑚礁に来てみても誰もいないし。

 泣きそうになりながら海岸を探してたら




「ゴメン、忘れてた!」




 この寒いのに約束忘れてサーフィンに没頭してた瑛くんから、そんな一言を頂いた。

 そして着替える間、ここで待ってるというわけで。

 最近瑛くんはやっぱり、ボーっとしてると思う。

 あれだけ一生懸命だったものが、すぽんと抜け落ちてしまったら、そうなっても仕方ないって気がする。





「悪い、待たせた。」

「……瑛くん、上着は?」


 降りてきた瑛くんの格好は、どうみても外に出る格好じゃない。髪だってざっと乾かしただけで、セットしてないように見えるし。


「こんな寒いのに外なんか出れないよ。俺の部屋、行こう。」


 そう言った瑛くんは、あくまでも穏やかだ。……表面上は、だけど。

 そんな寒いのに、極寒の海のなかで遊び倒してたのはどこのどなたでしたっけ?

 とは思うのに、私もなんだか以前みたいに強く言い返したり出来なくて、しぶしぶ彼の言葉に従った。











「あれ」


 久々にお邪魔した瑛くんの部屋は、前に来たときと少し変わっていた。

 なんだか……物が、減ってる?


「片付けてるんだ。時間できたから。」


 少しぎこちなく、瑛くんは笑う。

 私はどんな顔して応えていいかわからず、少しうつむく。


「……ごめんな」

「えっ、なにが?」


 突然謝られて、私はびっくりして顔を上げた。目をそらしたりして、私のほうが失礼だったはずなのに。


「今日、水族館の約束だったよな?」

「あっ、うん。

 ……でも、しょうがないよ。約束したの1ヵ月も前なのに、私が確認もしなかったから。」


 それからあったことを思えば、忘れられても仕方ない。

 そう心の中でつぶやくと、瑛くんはさびしそうな笑顔を浮かべて言った。


「俺が悪いよ。

 だから、素直に謝られてくれると助かる。」

 胸の奥を、ざらりと撫でる違和感。瑛くんの感情の波が穏やか過ぎて、なんだか怖い。


 怖い?

 ……なにが?






 急に心があわだって、私は無理に笑顔を作ってうなづく。


「なら、遠慮なく。」

「うん。……ごめん。」

「はいはい。」

「ごめんな。」

「……もう、いいよ?」

「……ああ、ごめん。」




 瑛くんはそう言って、窓の外に視線を向ける。窓の桟に手を置いて外を眺める綺麗な頬のライン。

 初めて瑛くんに会った日は、この姿を外から見たのにな。

 そう思うとなんだか胸がいっぱいになって、泣きそうになった。

 今の私のまま、あのときに戻ることが出来たなら、きっとずっと瑛くんを助けてあげられる。

 もっと瑛くんのことを理解できて、珊瑚礁の仕事もちゃんとこなせて、いろんなものでふさがってた瑛くんの両手を支えてあげられる。

 そうしたら、こんな辛そうな瑛くんを見なくてすんだかもしれないのに。





「……好き」



 私の唇からこぼれた言葉に、瑛くんは弾かれたように私を振り返った。



「……美奈子」





 卑怯だなぁ

 こんな風に伝えるなんて

 瑛くんの力になれなくても、瑛くんに笑って欲しいって

 瑛くんの力になりたいんだなんて、そんな事言ったら

 瑛くんはもっと傷つくのに。

 誰にもふさげない、大切なものを失った心の傷の深さを思い知って、もっと苦しくなるのに。




「………俺」



「瑛くんの淹れたコーヒーが好きなので珊瑚礁ブレンドひとつお願いします!」




 重い空気を破って響く、わざとらしくて不自然な誤魔化す言葉。

 瑛くんが開きかけた口をぽかんと開けたまま、私の顔をまじまじと見つめてきた。

 私はそんな瑛くんの顔を見れずにうつむいた。

 誤魔化したことも、そうすることで決定付けられた私の想いも、きっともう瑛くんにはバレてる。

 でも、どうか、今だけは誤魔化されたフリをして欲しい。

 こんな時に、こんな風に伝えるなんて、私は卑怯だ。

 どうか弱さにつけこまれたりしないで、いつもみたいに強がって。



『瑛くんは頑張ったよ。』

『そんな顔しなくても、まだこれからじゃない。』


 ……なんて言ったら、瑛くん嫌がるでしょう?









「……おまえなぁ」


 はぁぁー、と大きなため息をついて、瑛くんはがっくりと肩を落とす。

 その大きな動作に、思わずからだがびくっとした。


「ええと……怒った?」


 反射的に頭を庇った体勢のまま、そっと瑛くんの表情を見上げると


「……ホント最後まで人騒がせな奴。」


 瑛くんは真っ赤になった頬を隠すかのように、ぷいとそっぽを向いた。


「ごめん……でも、最後って?」

「……俺が、珊瑚礁でコーヒー淹れるの、最後だろ。」


 ああ

 また、酷い言葉を言わせてしまった。




「……今、淹れてきてやる。」

「ありがとう」


 寂しそうな表情には気付かないフリをして、にっこりと笑った。












(あなたを)

(おまえを)


『傷つけたいわけじゃないけど』




(もう限界なの)

(もう耐えられないんだ)


『これ以上、傷つくのは』



(だからもう、誘ったりしない)

(だからもう、側にいられない)


『無力な自分に気付きたくはない』





(見えない場所で、あなたが泣いていることも)

(離れた場所で、おまえが笑っていることも)


『知らないフリをして、のうのうと生きていくんだよ』









「……ごめんね」

「……ごめんな」


 呟くように零れた言葉は、漂うコーヒーの香りにあっという間に溶けた。








エゴイスト










 
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