Trust Me?

□vol.4 Call Me
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 1・ろくでもない




 暗い闇の中

 あたしは放り出されたようにただそこにいて、上か下かもわからないぼんやりと明るいその場所を見ていた。

 水の中にいる

 動かした手足に絡みつくような感覚に、辛うじてそれだけを悟る。


    ・・・」


 ごぼごぼと水の壁を越えられず、すぐ側を掠めていく『音』はひどく曖昧で聞き取れなくて。

 あたしは懸命に耳を澄まして次を待った。


    ・・・」


    ・・・」


    ・・・」


 あちらこちらから投げつけられる気泡は確かにあたしに向かっているのに、届かない。

 感覚のない指先をいっぱいに伸ばして、せめてその泡を掴もうとすれば、嘲笑うように摺りぬけて、ぱちんと鮮やかな音を立てて消える。


 あたしは誰?


 押し寄せてくる不安に思わず身体をくの字に折り曲げて、あたしはあたしの自慢の尾鰭が腐って朽ちてゆくのを見た。




「たす」

「天堂さん?」

「・・・若ちゃ、」

 目を開いた途端、視界に飛び込んできた顔を、あたしは瞬きを繰り返して二度見する。

「・・・先生。」

 辺りの景色がようやくクリアになり、あたしはようやく状況を理解した。

「・・・あたし、寝てた?」

「はい。そりゃもうぐっすりと。」


 にこにこと怒る様子もない若ちゃん先生は白のジャージ姿。

 ここはグラウンド脇の芝生スペースで、今は部活中。

 あたしはランニングの後にストレッチをしようとここに来て、そのまま眠ってしまったらしい。


 ため息を吐いて、固まってしまった感覚のある身体を伸ばす。

 最近妙に疲れやすくて困る。

 身体も思うように動かなくて憂鬱だ。


「調子はどうですか、天堂さん。」

 完全にわかって聞いている、といった様子の若ちゃん先生に

「問題ないです。それがなにか?」

 きっぱりと言い切って立ち上がると、胸の中の澱みを振り払うように大きく腕を回した。




「すいませんでした。」

「なんですか、いきなり」

 突然謝られて、あたしは何のことだかわからずに眉を寄せて先生を振り返る。

 居眠りを謝らなくちゃいけないのは、あたしの方なんだけど。

「本当は結構前から気づいていて、佐伯くんにも一度話そうとはしたんですが・・・」

「佐伯?」

 本当に申し訳なさそうな顔の若ちゃん先生から飛び出した名前に、ますます困惑する。

 佐伯に話って、なにを

「ついうっかり言いそびれてしまって」

「はぁ・・・」

「その後はすっかり忘れてました。」

 てへ、とでも音のしそうな仕草を作ってはにかむ若ちゃん先生の、なんて雑な理由。

「・・・だから、何のことですか、一体?」

 苛立ちのあまり眉間に刻まれた皺を揉み解しながら、根気強く尋ねると

「天堂さんの不調の原因のことです、もちろん。」

「あたしの?」


 もちろん、と言いつつもやっぱり突然の話に、きょとんとして首を傾げる。

 不調って、この疲れのことだろうか。

 もうすぐ7月と言う時期だけに、夏バテだと思っていたけど。

 答えを求めて若ちゃん先生に視線を送ると、若ちゃん先生はへらりと笑って指を立てた。


「・・・なんですか、その手。」

 と、言ってもいつもの人差し指を立てた『ピンポンです』ポーズではなく、全部の指をピンと伸ばした、いわゆる『パー』。

 ・・・もしくは『ストップ』?

 腑に落ちずに説明を待っていると、言いにくいんですけど、と前置きをした若ちゃん先生が表情を真剣なものにした。



「天堂さん、この一ヶ月で5sも体重が増加しています。」









 あたしは一体なんのことだと首を傾げたまま、ぽかんとして固まった。

「・・・その反応はやっぱり、ウエイトチェックをサボってたみたいですね。」

「あ、いやまあ、それは・・・そうなんだけど」

「アスリートの自覚があるなら毎日チェックすべきことです。・・・さすがに気付くだろうとも思わないでもないですが。」

「いや確かに量ってはないけど!でも!・・・5sって」

 5s。もちろん成長分なんてもんじゃない。

 いやいやそりゃあ身体は重いけど、いくらなんでも


 ぷにゅ。

 若ちゃん先生の手が無造作にあたしの腹肉を摘んだ。

 ・・・腹肉?

「はね学制服のワンピースだと、ウエストサイズの変化に気付きにくいのかもしれないですが・・・

 普通は気付きますよ?お風呂も毎日入るんでしょう?」

「・・・つかセクハラです。あれもそれもこれも!」

「やや、教頭先生には言いつけないで下さいね。」

 慌てて手を離して後ずさる若ちゃん先生を微笑ましく見守る余裕などなく

 あたしはもう一度自分で自分のお腹の周りを触ってみた。

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「いやいやいや、でもさすがに5sって!!」

 ないない!と否定しようとしたあたしに、若ちゃん先生は可哀想なものを見るような瞳を向けてくる。

「高飛びで着地する際の、マットの沈み具合から計測した目分量ですけど」

 ・・・なんだその妙な説得力のあるドクター若王子は!!



「いやいや、でもたった一ヶ月で5sなんて、そうそう増えるもんじゃ・・・」

 一ヶ月。

 その単語に符号を覚えて不意に口をつぐんだ。

 なんだその身に覚えのありまくる期間!

「・・・佐伯」

 さっき若ちゃん先生から聞いた時は、一体何の関係がとか思ったその名前。



 ・・・そうだ。

 そりゃあそうだ!!



「呼んだか?」

 後ろから聞こえた暢気な声に、我知らず体がぎくりとする。

 ぎぎぎ・・・と錆びついた機械のようにゆっくりと振り返ると

 もはやパブロフの犬のように、見ただけで口の中に幸せな甘さが広がるような

「今日は部活だったのか。・・・だったらバイトは無理だよな?

 せっかくおまえに試食してもらってた新作ケーキ、完成したって教えに来たのに。」

 無駄に整った顔でニヤリと笑う、佐伯 瑛 その人。 







油断大敵
    
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