乙女の半分は妄想でできています

□5・オトメノソウシツ
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「それで次は俺ってか?光栄だねぇ」
 さほど感慨もなさそうにそう言って、煙草の煙を吐き出したマスターは唇の端を微かに歪める。
 いろんな意味が詰まった微笑。オトナならではのそれに、私はカウンターテーブルに出されたオレンジジュースを突き返す。

「だってマスター、そっちのひとでしょ?」
 マスター…益田さんは男が好きな人だ。
 このジャズバーは別にそういう人が集まる場ってわけじゃないけど、やっぱり同じ嗜好の人同士はわかるみたいで
 いかにもな人から、まだ自分でも認め切れてない人まで、常連のお客さんたちには独特の空気がある。
 出会いを求めているのか、ただ欲求を満たす相手を見つけに来るのかは知らないけど。

 私の返したグラスを更に押し戻して、益田さんは眉を寄せた。
「俺だって相手は選ぶ。そもそも、あかりは女だろうが」
「今は男だもん」
「身体はな」
 最初に男の身体になりました、と言った時は完全に面白くもない冗談だとため息をついた益田さんだったけど
 私がシンプルで最も効率的な方法で証明してみせると、いつも余裕たっぷりの目を見開いて咥えていた煙草を落としたりした。
 そんな貴重なものが見れて上機嫌な私なのです。

「身体が男なら問題ないでしょ?」
 首を傾げてみせると、肩をすくめて長い指で私を示した。
「そういうんだよ。仕草とか、表情の作り方とか、女と男じゃ違う。可愛いと思わなくもねぇが、そそらねぇ」
 そういうもんか、となんとなく頷きかけて、いやちょっと待てよと問いを重ねる。
「オナベさんはオッケーってこと?」
「お前は本当にデリカシーってもんに欠けるよな」
 よく言われます。

 仕方なくグラスを受け取りストローを咥える私をみて、ようやく話は終わったとばかりに仕事に戻る益田さん。
 癖のある柔らかな髪が影を作る頬の色っぽさ。中年にさしかかった大人の色気はまた別次元の魅力だなと目を細める。
 飄々としたこの人の心を占める傷の原因は、彼の親友にある。
 それを知ったのは、ただの偶然なんだけど。益田さんは、たとえその人に絶対届かない場所だとしても、想いを口にしたりしないから。

 ずっと片思いしていた益田さんと、それに気づかずただ親友だと思っていたその人と。
 想いを伝えることもできず、諦めに似た覚悟をもって、その人の幸せを見守り続けた不器用な人が、私は好きだ。

 私もいつか一人になる。その時、この人みたいに優しくなれたらいいなと思う。
 いつか一人になるってわかってて、傷つけてでも形だけ手に入れようとする私が、この人と同じになれるはずもないのに。


「私は益田さんとは違うの」
 ストローを咥えたまま呟くと、それにすくいあげられた氷が落ちて、からん、と硬い音を立てた。
 私に背を向けてボトルを磨いていたマスターが、ほんの少し振り返った目の端に私を映すのを確認して、ストローから唇を離した。
「好きな人の身体が欲しい」
 微かに揺れるマスターの瞳に映る私は、純粋な欲望を笑みの形に歪めた唇に浮かべている。

「あなたが欲しいよ」
 一瞬、上目使いで見上げた目を細めて弧を描く。形だけの微笑を貼り付けて、空のグラスを差し出した。
 煙草をくわえたまま、深く煙を吸いこんだマスターが、グラスを見つめて、吸い込んだよりずっと長く紫煙を吐き出した。
「……おまえのそういう直球なところは嫌いじゃねぇんだが」
 諦めの悪い物言いたげな言葉は、いろんなものを諦めた気だるげな瞳と共に紡がれた。









 
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