ときめきバグりある!2nd life
□22・痒みは痛みで吹っ飛ばせ
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「世界は安定している……ですか」
佐伯 総一郎はそう呟いて、短く息をつく。
相談役という立場を割り振られていても、彼や遊には花椿の者たちのように、この世界の核に触れることはできない。
核。作りだされたものである、このときめき世界において、彼らは時にその世界を超えて存在する。
それは創造主の意志すらも踏みにじり、人の……数多のプレイヤーの意に沿う形で、この世界の者を操ることができるということ。
実のところ、鬼畜ウイルスなんてものがはびこっているこの事態に、花椿 姫子が関与していないはずはないのだ。
「何を考えておられるのやら……」
迷いを払うように頭を軽く振り、優雅な手つきで淹れたてのコーヒーをカップに注ぐ。
二つのカップの片方には、ミルクと砂糖をたっぷり入れて。
「どうぞ、音成くん」
マスターの住居であるマンションの一室。窓際で小さく丸くなっている音成 遊は、マスターの勧めに視線だけを流して応える。
深い思考の波に呑まれた瞳は暗く、固く結ばれた唇が彼の迷いを物語っている。
「落ち着きますよ」
マスターが遊の元へ歩み寄り、カップを差し出すと、遊はありがとう、と小さくお礼の言葉をつぶやいて、カップを受け取った。
気持ち程度に口をつけて、またぼんやりと思考の海に沈む。
昨日の夜からずっとこの調子だ。と、マスターは心配そうに遊を見つめる。
昨日の夜。
四六時中一緒というわけでもない彼に対して、明確にそう言い切れるのは
「……おねえちゃん」
ぽつりと遊がつぶやいた。
一瞬、心の中を見透かされたような気分になったマスターは、しかしすぐ、彼の言う「おねえちゃん」に思い当たった。
りあるのことではない。本来そうであるべき「おねえちゃん」…つまり、デイジーだ。
この世界の中心であり、マスターにとってはなにより、可愛い孫の大切な思い出の相手。
時に孫を誰よりも想い、支え、時にあっさりと踏みにじる少女。
しかし、遊にとってはいつの時でも、大切な想い人だ。
この世界に デイジーの居場所は もうない
りあるの夢の中、姫子が告げた言葉に、マスターは困惑して眉を寄せる。
彼らがりあるを選んだから。
決定的な言葉と行動で、それを示してしまったから。
「……出会っていない人間と、出会ってしまった人間を、比べることなどできるわけはないのに」
つぶやくと、遊の小さな方がぴくりと動いた。
デイジーのことが心配なのだろう。
いつも明るい表情をたたえるそのかわいらしい顔は、曇ったまま、俯いたまま。
マスターは、遊から視線を逸らして、手にしたカップに口をつけた。
デイジーのいない世界。
それは、なにより大切な孫にとって、どんな世界になるんだろうか。
救われる人のない世界、それとも
「ともかく、りあるさんは、私が気を付けておきましょう。本来、記憶の書き換えは、彼女の存在を危うくさせる禁じ手だ」
ざわめく胸をおさえて言うと、ようやく遊が顔をあげてマスターを見た。
「りあるおねえちゃんは、ちゃんと忘れた?」
「ええ。昨日の夜の記憶……そして、真咲 元春に関する記憶はすべて」
体に残る記憶の他は。
淡々とした口調で答え、マスターは心の中だけで付足する。
口に出さなかったのは、会話の相手が小学生だったからではない。
「よかった。りあるおねえちゃんは優しいから、覚えていたらきっと傷つく」
心からほっとしたように、遊が小さく微笑む。
それを見て、複雑な気分になりながら、マスターは嘆息した。
「しかし、こんな手はそう何度も使えません。記憶を書き換えようと負荷をかけ続ければ、彼女は」
「でも、ほっとけないでしょ?僕だって、真咲さんがあんな風になるなんて、予想外だったんだ。」
表情を曇らせるマスターの言葉を遮り、遊は表情を引き締めて首を左右に振る。
「この世界はりあるおねえちゃんものだ。りあるおねえちゃん以外の誰にも、守る義務も権利もない」
再び、遊の瞳に暗い光が灯る。
「僕らにできるのは、りあるおねえちゃんを守ることだけだ」
「………そうですね」
ため息とともに頷いたマスターは、遊を追うように窓の外に視線を流した。
想定外。本当にそうだったのだろうか?
鬼畜ウイルスを取り除くためとはいえ、彼女にキャラを攻略させたのは花椿の指示だ。
少なくとも、花椿の者ならわかっていたはず。
ヒロインではない女性に恋した、キャラが辿る結末を。
この世界に拒まれたものがどうなるかを。
「本当に、なにを考えておられるのやら……」
先程口にした言葉を繰り返すと、今度はより苦く感じる。
空になったカップを手に、くるりと踵を返した瞬間、遊が温度のない声で言った。
「きっとみんな、自分のことしか考えてない」
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