Fate (SN/HA)

□最初で最後の閑話
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 荒れ果てた大地に女は居た。
 乾いた大地をひたすらに慈しみ、緑の芽を芽吹かせる。全てが色褪せゆく世界で、女の周りだけが色づいていた。
 乾ききった大地に悲観することなく、一つ一つ種を撒く。その作業は決して苦痛ではなく、むしろ喜びに溢れたものだった。
 いつか、見渡す限りの地を埋め尽くせたら。
 そうしたら、約束を果たす事が叶うだろうか。約束を結んだのはただ一度きり。数分にも満たぬ会話であったけれども、いつまでも胸に淡い光を灯し続ける約束。それが女の生きる意味であり、また僅かに抱いた希望であった。
「――」
 言葉に意味はなく。
 遠くで舞う砂塵を見つめながら、「まだ」だと思う。
 まだ足りない。あの人に見てもらうには、まだ不完全だ。
 乾いた目を閉じれば、鈍い痛みと郷愁にも似た想いが胸中を占める。
 泣いてはいけない。涙をこぼしたら、育てた花が枯れてしまうから。
 過去に一度だけ女は涙を流した事がある。
 奇蹟といっても過言でない邂逅を思いだし、心の赴くままに涙を流した。するとどうだろう、女の涙を隠すかのように曇った空が水を落とした。恵みの雨と呼んでも過言でない水分に女は目を瞬かせ喜びを抱いたが、反則は許さないとでも言うかのように、育てていた花は無残な姿と成り果てた。
 育てば白く愛らしい姿を見せる小さな小さな草花。己が精魂込めて育てた花が枯れゆくのを目の当たりにし、自身が悲しみを覚えるのは許されないのだと悟る。
 昔、女はただの少女だった。
 裕福とは言えずとも両親や兄弟が存在し、必要最低限の生活だが楽しい日々を送っていた。辺境の名も無き村で少女は花を育てていた。
 起床したら挨拶を送り、楽しい事があったら報告し、悲しいことがあったときは慰めてもらった。少女の家の周りは年間通して色彩豊かで、見るものを和ませた。
 少女は花を愛し、また花も少女を愛していた。
 いつしか少女は美しい女へと成長を遂げていた。周りを彩る花同様、見る者を癒す容姿、性格はそのままに。
 そんな女の運命を変えたのは、ある男の気まぐれだった。
 見れば誰もが女を「美しい」と形容し、己が愛でようと思考を凝らす。
 だが男は違った。男は女を一瞥し「見事なものだ」と抑揚静かに言葉を発した。自分自身にではなく、女が精魂込めて育てた花に視線を移し「だが、足りぬ」とも。
 まだ自分が愛でるには足りないと、だからお前は不完全なのだと男は女に言う。
 ならばどうすれば満足するのか。自身を否定された女は男に問うた。
 真摯な瞳で真っ直ぐ射貫いてくる女に視線を移し、男は僅かに口端を歪める。
「お前には脳が無いのか、自分で考えろ」
 女は決してちやほやされて育ったわけではない。だがそれでも男の言葉に怒りと悲しみを覚えた。
「必ず見返してやる」
 それは決意であり、誓約。
 女の戯言を男は一笑に付すが、向けられる戦意が心地よかったからほんの少しだけ、女に心を割いてやることにした。
「この視界を埋め尽くしてみろ」
 もし女が男の出した要求をクリア出来たならば、その時は――。
 言葉の最後は男の胸に仕舞われる。
 無茶な要求を突きつけた男が去った後、女は自分が男に差し出される予定であったことを知った。男自らが女を望み、わざわざ出向いて来たのだと。
 だが実際そんな素振りは一つもなく、要求だけを突きつけられたのだ。予定はなかったものと処理していいだろう。
 その日から女は一心不乱に花を育て始めた。
 周りがなんと言おうが聞く耳を持たず、ただひたすら一つの約束を遂行するために心身を捧げた。母が消え、父が消え、兄が消え、姉が消え。いつしか女の周りに人は存在しなくなっていた。
 一日中花の手入れをする女を気持ちが悪いと、罵詈雑言を浴びせられることもあった。花に命を捧げている女は人ではないと攻撃を受けることもあった。
 来る日も来る日も同じ作業を繰り返し、女は男を待ち続けた。
 水が涸れ、大地がひび割れ、全てが死に向かっていったけれども、女は花を育てる事を止めなかった。大地が枯れれば己を差し出し、水の代わりに魔力を注いだ。
 女はたった一つの約束を守り続け、気が遠くなるような年月をただひたすら過ごしたが、結局男が女の元に還ることはなかった。
 果たされない約束に縛られたまま、どれくらいの月日を過ごしただろう。
 ある日突然女は気付いた。既に、己という存在が「理」を外れてしまっていることに。



 懐かしい感傷だったと、女は閉じていた瞼を開けた。
 視界に映る己の髪は、空を覆う雲と同じ色になってしまったけれど。それでも、まだ足りない。
 だから、まだ自分は――。
 肺にたまった空気を吐き出して、女はまた雨すら降らぬ大地に緑を増やす作業に取りかかる。
 いつか見た夢を叶えるために。


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