2/14。それはお菓子会社の陰謀であり、女の聖戦。
変に女性率の高い衛宮家においてもそれは健在だった。
後に衛宮士郎は語る。
前日の夕飯に魚を焼いたら、女性陣から射殺されそうな視線を頂いた、と――。
「マスター、こんなもんでいいですかー？」
焼き上がったブラウニーを切り分け、一つづつラッピングを施していく。
「今年もいい出来だね彩香ちゃん」
「折角のバレンタインですしね」
完成したものから箱に詰め、可愛いシールで蓋をすれば完成。
職場柄今日と言う日はチョコレートケーキが良く出る。少しのスパイスを効かせた紅茶と、甘さ控えめのチョコケーキ。ありがたくも女性のお客さんが好んで食べに来てくれるのは、料理人冥利に尽きるというものだ。
「お土産用の予備はこっちに仕舞っておきますね」
「そうだな……もう少し作れるかい？」
「え？ あ、はい。分かりました。じゃ今の三割分くらい余分に用意しておきます」
頼んだよ。そういってマスターは戦地へと出陣していった。
「お、まだ作んのか？」
意気揚々と出て行ったマスターと入れ替わりに入ってきたのは、青い槍兵。
「ランサーさんはバレンタインデーって知ってる？」
「バレンタイン？ あー、チョコのやりとりする日だっけか？」
「そうそう。日本では女の人が男の人にチョコレートを贈るの。好きな人には勿論、日頃の感謝とか友達に、とか用途は色々だけどね」
ざっとバレンタインについて説明しながら、チョコを刻む作業に移る。
「彩香も誰かにあげんのか？」
「うん。家の人とか……今回はセイバーさんがいるから、ちょっと気合いいれたよー」
昨夜の内に仕込んでおいたケーキを思い出し口元を綻ばせると、ランサーさんがにやけた視線を送っているのに気がついた。
「勿論ランサーさんの分もあるよ？」
「お！？ まじか！」
「うん。まだ来てないからあげられないけど」
「なんだ出来てねーのか」
口を尖らせ不満を表すランサーさん。どこまでも陽気なサーヴァントに笑みを向け、刻んだチョコレートを湯煎に掛ける。
「平和だなぁ」
「ん？」
桜ちゃんの事も、アインツベルでの出来事も、何もかも夢のような気すらしてくる。残る敵はあと二組。キャスターさん達と、ランサーさん達。可能性とすれば桜ちゃんも数に入れるべきだが、彼女に関しては士郎がどうにかするだろう。
「ランサーさんと戦うの嫌だなぁ」
「今更何言ってんだよ」
こつりと私の側頭部を叩き、ランサーさんは赤い瞳を優しく細める。
女運の悪い青いサーヴァントの持つ深紅の槍が、士郎の心臓を貫いたのを知っている。回避不可能な呪いをもって跳躍する姿。私はソレを、識っている。
「ランサーさんがいなくなったら、泣いちゃうかも」
作業しながら零した本音に、ランサーさんの動きが止まる。
「なら彩香が俺のマスターになるか？」
笑っているのにどこか真剣さを思わせる声色で、ランサーのサーヴァントは言った。
チョコを溶かす行程に音は発生せず、僅かな沈黙が私達の間に横たわる。テンパリングを繰り返したチョコは鏡面のような艶をもって私の表情を写し取った。
「そんなこと言うと後悔するよー？」
背後から私の肩に手を置く存在に苦笑を漏らせば、視界の隅で青い髪が揺れる。
「後悔なんざしたことねぇよ」
「そう？」
私の耳元で笑う存在に向き直って、赤い瞳を正面から見つめた。
「なら、ランサーさんのマスターさんが脱落したときに捕獲しちゃおうかな」
「捕獲とは、言ってくれんじゃん」
「合意の上よか面白いでしょ？ 別に契約を結びたいわけじゃないし」
私の台詞に再度ランサーさんの動きが止まる。
「契約しないって、どうするんだ？」
「だって聖杯がなければ令呪って出ないんじゃないの？」
「あー、どうなんだろうな？」
俺残ってたことねーし。あっさりと敗北の事実を告げるランサーさんに、思わずため息が漏れそうになった。
「現界させるだけなら、魔力を流してればいいだけでしょ？」
「まぁ一言で言えばそうなるな」
「じゃ問題ないじゃない」
「そうかー？」
ランサーさんは大問題だと言いたげに眉を顰めるが、私にしたら何がどう問題なのかが理解出来ない。確かにサーヴァントという人を越えた存在が現代人に混ざってるのは問題だと思う。いくら馴染んでいるとは言っても、基本は戦う為に召還される存在なのだし……。
「まぁ仮定はいつまで経っても仮定なんだし、時期が来た時に考えればいいんじゃないかな？」
それに、マスターよりもサーヴァントが死亡する確率の方が高いのではないか。強度で言えばマスターの方を狙うだろうが、マスターに攻撃をしかける為には、剣であり盾であるサーヴァントを先に倒さねばならない。
そう考えると、サーヴァントシステムというのは良く出来ているものだ。
「ランサーさん、このプレートのオーブンいれてもらっていい？」
物騒な話は終わりだと言外に伝えれば、私の意図を汲み取ってか普段と変わらぬ気軽さでランサーさんは作業を再開させた。
今日も今日とて目まぐるしい時間が過ぎていく。
普段よりも数時間早く店を閉めるのは、バレンタインというイベントのせいだ。働いているスタッフ陣がイベントを堪能出来ないのは可哀想だというマスターの気遣いが、嬉しくもあり厄介でもある。
「お疲れ様でした−」
灯りの残る町中を歩き、自宅へと歩を進める。
通り過ぎる人が振り返る確率が高いのは、隣を歩くランサーさんのせいだろう。本人も満更ではないのか、可愛い女の子が通りすぎる度に手を振っていたりする。
こういう事を軽々しくするから、女運が悪いのではないだろうか？ 浮かんだ疑問を裏付けるかのように、また一人の女の子が手を振った。
「一緒に来なくてもいいのに」
ぽつりと漏らせば、ランサーさんの瞳がこちらを向く。
「拗ねてんのか？ 彩香」
「いーえ？ 拗ねてなんていませんよ」
ランサーさんがケーキを食べたいというから一緒に歩いているだけ。それだけの事なのに、胸の奥がムカムカするのはこの甘ったるい空気のせいだ。
「彩香」
「なに？」
真剣な眼差しを向けてくるのは反則だと思う。私がその色に弱いと知っての狼藉か！ 叫びたい衝動をこらえて次を待てば「ケーキ残ってるのか？」と、漂う雰囲気を力一杯粉砕してくれた。
「セイバーがいるんだろ？ もう漁られた後なんじゃね？」
自宅では今頃チョコレートパーティー中だろうか。
食べる事が好きな騎士王の為に用意したチョコレートフォンデュを、楽しんでもらえていたら嬉しいと頭の隅で思う。
「私の作ったケーキに関してなら大丈夫だよ」
「お、自身満々だな」
「だって冷蔵庫に入れてないもの」
「……ん？ 乾き物か？」
「生物だよ？」
冷蔵庫に入れたらセイバーさんよりも先に桜ちゃんに食べられてしまうかもしれない。折角気合いを入れて作ったのだ。私がいる時に食べて貰いたいと思っても怒られないだろう。
「んじゃどこに保管したんだ？」
「よくぞ聞いてくれました」
ニヤリと笑う私に、ランサーさんが一瞬目を泳がせた。
「あー、俺なんか嫌な予感がする」
流石幸運値の低い英霊。きっとその直感は外れていない。
未だ遠く、だがはっきりと視界に捕らえた色にランサーさんの顔が歪む。
「彩香」
「サーヴァントって目がいいねー」
満面の笑みを向ければ、ランサーさんが特大級のため息を吐き出した。
「ギル様−！」
名前を呼んで手を振れば、私達の方に向きを変えるギルガメッシュ。
「なあ彩香。一応聞くけどよ……その、なんだ、保管場所っつーのは」
「ご推察通り、バビロンです！」
これ以上完璧な保管庫もあるまい。食べられる危険性はないし、クーラーボックスにいれたから保存状態も完璧だし……我ながら完璧だ。誇らしげに胸を張る私とは裏腹に、ランサーさんはがっくりと肩を落とした。
「あん時聞こえた『来てない』ってのは聞き間違いじゃなかったんだな……」
出来てない、ではなく、来てない。流石のランサーさんも、歩く保管庫だとは思っていなかったようだ。
「雑兵も一緒か」
「雑兵とか言わないの」
ペチリとギル様の腕を叩き、美丈夫を左右に侍らせ帰路を辿る。
逆ハーレムといっても過言でない状況に顔がにやけるのはしょうがないだろう。ビバ、バレンタイン。心の中でガッツポーズを掲げ、視界に入る左右の手を握ってみた。
「ん？」
「フッ」
同じサーヴァントという存在でも反応が違うのが面白い。
きっとバレンタインという日は女の人が得をするように出来てるに違いない。遠回しに向けられる視線に僅かな優越感を感じながら普段よりもゆっくりと歩く。
「そうだ、言峰さんにもケーキ持って帰ってね」
「はぁ？ アイツの分まであんのかよ」
「凛ちゃんのお師匠さんみたいだし、食べ物に罪はないでしょ？」
激辛麻婆をこよなく愛する神父に甘味というのもどうかとは思ったけれど、極力甘さを控えめにしたから大丈夫だろう。それに嫌がらせと思われたら思われたで、ひねくれ神父さんのことだ。逆に食すに違いない。
どちらにせよ、私の作ったケーキが消費される運命に変わりはない。その事実に満足しながら、ギル様にバビロンを開けてもらうように頼む。
ぐにゃりと歪む空間から出てくる可愛らしい小包は、とてつもない違和感を放ちながらランサーさんの手に渡った。
「セイバーさん達に食べられないよう気を付けて守ってね。言峰さんのサーヴァントさん」
「ハッ、良い性格してんぜ」
空いている方の手で小包を器用に一回転させ、ランサーさんはどこかへ箱を仕舞った。
「我の分はどうした」
「ギル様の？ 勿論あるよ」
繋いでいた手を離し、鞄の中を漁る。
「帰ってから渡そうと思ってたんだけど……はい、これ」
ランサーさんに渡したものよりも小さな箱を取り出せば、不満だとギル様の眉がぴくりと動く。
「無論本命というやつなのだろうな」
「――どこで覚えてきたの、そんな言葉」
「フハハハ！ 我に知らぬものなどないわ！」
お約束の高笑いを響かせるギル様を目の前に、私の肩に置かれたランサーさんの手がせつなかった。
「彩香、俺お前の事尊敬すんぜ」
「意外といい人だよ？ 意外と……」
「慣れって怖いよな」
「んー……慣れって言うかあれじゃない？ 馬鹿な子ほど可愛いってやつ」
私の回答に「なるほど」と頷いて、ランサーさんは明後日の方向へ顔を背けた。