Fate (SN/HA)

□草津の湯でも治せない?
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 夢を見た。
 愛しい存在が遠くの方でぼんやり立ち尽くしている。
 声を掛けようと口を開くが、無粋だと思い音になる前に噤んだ。白い世界に存在する白い姿はどこか幻想的で、視線を奪うに十二分の効果を持っていた。
 白い草花が風に揺られ乾いた音を奏でる。辺り一面に広がる草原の中で、女の背後に一本の大木があった。
 何本もの細い木が絡み合い、一本の存在としてそこに在る姿は壮観。
 時折疲れたように女が木に寄りかかるのが見える。自分が傍に行って支えてやりたいと思うが、踏み出す為の動作を忘れてしまっていた。
 声は掠れ音にならず、自分という存在がその場にいることすら知覚出来ない危うさの中で、周囲に漂う花の香りだけが鼻腔を擽る。
 これは自分が欲する香り。欲した、香り。伸ばすための手は動かず、見つめる為の視界さえ霞む。
 本当は、自らが動く必要などないと分かっていた。
 それでも、女の注意を自分に向けたくて、音にならない咽を震わせ、腹の底から女の名を叫んだ。



「おい、どうしたんだよ彩香」
 炬燵の天板に頬を乗せ、ぐったりとしている私に向けられる声。
「ちょっとぐったり中」
「いや、見れば分かるけどさ」
 何か食べるか? と士郎が聞いてくれるけど、生憎と数分前に食事を終えてしまったばかりだ。
「彩香がそんななんて珍しいじゃん」
 空いている場所に腰を落ち着け、卓上にある蜜柑をむき始める士郎。ああ、お前が今手に持ってるのはお姉様が狙っていたやつです、弟君よ。
「風邪でも引いたのか?」
「あー、いや……もっと厄介なものに、ちょっと」
「はぁ!?」
 慌てて私の額に手を乗せ、自分の熱を比較する士郎。私が平熱だということを理解して、「本当にどうしたんだよ」と不安に揺れる瞳を向けてきた。
 正義のヒーローを目指す士郎の影響か、私自身あまり人を頼るのが好きではない。使ったり頼られたりするのは好きだけれど、自分の弱さを相手に見せるのは怖いと思ってしまう。でも……今回ばかりはどうにもならない。
「意外すぎた」
「何がだ?」
 今ここにいるのが弟で良かったと思うべきか。
 目を伏せたままため息を漏らせば、頭上から「悩み事か」ともう一人の弟が声を掛ける。
「げっ、アーチャー……お前なんでいるんだよ」
「私がどこに居ようが関係あるまい、衛宮士郎」
「ここは俺の家だぞ!?」
「小猿の考える事など知ったことか」
「こっ!」
 人の悩みを吹き飛ばしてくれるような殺気に感謝をするべきか否か。
 鈍感な弟が二人に増えた事を喜ぶべきか悲しむべきか。
「士郎、それにアーチャーさん。とりあえず座りなさい」
 中途半端に腰を上げた士郎のせいで、炬燵の温もりが逃げていってしまう。僅かに冷えた体温と連動するよう下がった声色に、二人の罵声が同時に止んだ。
 渋々と炬燵に入る男性二人。しかも同時に蜜柑に手を伸ばすあたり、同一起源なのだと再確認する。
「丁度いいかなぁ」
 方やマスター、方やサーヴァント。抱えている悩みを打ち明けるのには丁度良いかもしれない。どちらも弟だし。
「なにがだ?」
「マスターからサーヴァントへと、サーヴァントからマスターへの感情って、やっぱ何か違うよね」
「……?」
 私の言葉に首を傾げる二人。私自身どう説明したらいいのか分からないのだから、曖昧になってしまうのは仕方ない。
「たとえば士郎がセイバーさんを思う気持ちと、セイバーさんが士郎を思う気持ちって、どうしても同じ軸上にはならないじゃない?」
「私達は死者だからな」
「うーん……生死とか男女とか、そういう以前というか、もっと根本的な話」
 どう説明すれば二人に伝わるのだろう。マスターという人間と、英霊であるサーヴァント。どうあがいても同じ基準で物事を捉える事は出来ないのだろうか。
「今ここに存在する一人の人物として、同じ価値観って持てるのかな」
「彩香?」
 楽しかったり、苦しかったり、嬉しかったり、悔しかったり。共通する感情の共有は可能なのだろうか。同じものをみて、同じように笑いあって。いつかは別れる期間限定だとしても、たしかなものは存在するのだろうか?
「遠回しとは君らしくないな、彩香。腹をくくってしまえ」
「うーん。それじゃ聞くけど、アーチャーさんは凛ちゃんの事をどう思ってるの?」
 私の問いに鉛色の瞳を瞬かせ「マスターだろう」と模範解答を提示する赤い英霊。
「じゃ、士郎はセイバーさんのことどう思ってる?」
「なっ、そ、それは……」
 鈍い、鈍感だと言われていても士郎とてお年頃の男性。綺麗で可愛いセイバーさんを前に何も思う事がなかったら正直不安だ。
「性格っていうのもあるかもしれないけど、やっぱり一と十の違いなのかなぁ」
「ふむ」
 人間であるマスターは一人だけだけれども、英霊であるサーヴァントは違う。座という場所から召還され、いつかは座に還る。戻った後に残るのは、記憶ではなく記録だとアーチャーさんは言った。だから特に何も思わないのだと。
 そうなると、あれは、やはり……。
「唆されでもしたか」
 ぼんやりとした思考に投げかけられるアーチャーさんの声。
「おい、アーチャー。お前何いって……」
「そんなところかなぁ」
 士郎の言葉が終わる前に音を紡ぎ、再び天板に額を付ける。額と鼻先から伝わる冷たさに息を詰め、ゆっくりと視界を閉ざす。
「……」
 左右から向けられる視線は痛いほどの強さを持っているが、何故か顔を上げる気にはなれなかった。どうも上手く感情の整理が付かない。
 なんでギルガメッシュは私にキスをしたんだろう。思い出すだけでも赤くなりそうで、慌てて脳裏から姿を追い出す。
 価値があると彼は言った。いつも見せる戯れだと割り切ればこんなに悩む必要もないのに……。なんで、あんな目で私を見たのだろう。
 高慢でも、慢心でもなく、普段見せる事のない真剣さを私に向けたのだろう。
 悩めば悩む程泥沼にはまってしまいそうで、大きなため息を吐き出した。
 恋の病は草津の湯でも治せないとは、上手いことを言った人がいたものだ。どうにもならない気持ちを持て余して、またため息を一つ。
「彩香、相手はサーヴァントか?」
「うん……ん!?」
 誘導尋問に引っかかった事に気付き、慌てて顔を上げる。
「え、な、なに?」
 よく似た種類の笑みを浮かべる士郎とアーチャーさん。凄く嫌な予感がするけれど、残念ながら気のせいになってくれそうもない。
「衛宮士郎」
「ああ、分かっているさ」
「ふ、二人とも、どうした、の?」
 ガシッと両サイドから肩を掴まれ、驚きに目を見開く。正直ちょっと痛いのだが、ここで反論したら更に立場が悪くなりそうなので我慢した。
「お前は今悩んでいる、そうだな?」
「え、あ、うん」
「で、それはサーヴァント絡みだと」
「そ、そうとも、いえるね?」
 左右からステレオよろしくで発せられる音声に、冷たい汗が背筋を伝う。
「何をされた? 彩香。言ってみろ」
 満面の笑みで迫ってくるアーチャーさん。掴まれた肩が一瞬ミシリと音を立てた。
「別に、たいしたことは……されて、ないよ?」
 ファーストキスだったとか、そんなことは死んでも言わない。言ってなるものか。私だって命が惜しい。現に掴まれた肩は可哀想な悲鳴を上げている。君たちはもう少し姉を大切に扱うべきだと心の中で涙し、若干虚ろな瞳で虚空を仰いだ。
「嘘つけ彩香。視線を逸らすのは嘘付く時の癖だぞ」
 なんですと。
「ほ、本当にたいした事ないんだってば。えっと……事故とか、犬に噛まれたとでも思えば、って士郎? アーチャーさん?」
 鏡面映像を見ているかのように同じ動作をする二人。
 機敏な動作で炬燵から抜け出し、未だ暖をとる私の頭に置かれる二人の手。
「安心しろ彩香」
「無念は晴らしてやる」
「え? ええ?」
 何を考えているのかお互いの顔をみやり一つ頷いた後、二人は颯爽と部屋を後にし外へと出て行った。
「な、なんなのあの二人……仲悪いんじゃなかったっけ……?」
 腐っても本人同士、根本的な考えは一緒ということか。
 ともあれ、何かを勘違いしていると思われる二人は、私の知る誰かに制裁を加えにいったに違いない。
「返り討ちにされなければいいけど……」
 うっかりスキルがなければ最強を謳っても遜色ない金の存在を脳裏に思い浮かべ、こっそり一人で赤面する。
「ああ、もう……若い子じゃないんだから……」
 すぐに赤くなってしまう自分が恥ずかしい。
 脳裏の存在を追い払うべく天板の上に置かれた食べかけの蜜柑に手を伸ばし、勿体ないので一房口に放り込んだ。今まで食べていたどの蜜柑よりも甘いソレに、若干の悔しさを感じながら夕飯の献立に意識を向ければ、自然と顔の赤味が引いていく。

 後日、何故かボコボコにされたランサーさんに泣き付かれたが、元凶である私が理由を話せるはずもなかった。


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