Fate (SN/HA)

□ブラザーズ
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「衛宮彩香」
 自分を表す名に振り返るが声の主はおろか、人影一つ見当たらない。
「まさか幻聴?」
 寒さで耳までやられてしまったのだろうか。足下から這い上がる冷たさに身を震わせば、上空からため息が降ってきた。
「――あ」
 闇夜に浮かぶ赤。月をバックに従えて、屋根の上から見下ろす存在に息が詰まる。褐色の肌を覆う黒と赤。白に近い色彩の髪は月光を受けて淡い金色に輝いている。
 何あのイケメン。
 真っ先に出た単語がそれだった。そういえば凛ちゃんが「アーチャー」を見張りに立てていると言っていた。となると、今目の前に存在しているイケメンが凛ちゃんのサーヴァントなのだろうか。
 それにしても格好良い。御馳走様にもほどがある。
 今日はランサーさんといい、このイケメンお兄さんといい、私の眼福ゲージは既にブレイク寸前だ。
「おい、衛宮彩香」
 阿呆面を晒している私を窘めるように再度紡がれる名前。
「へぁ!? あ、はぃ……」
 良く考えてみれば屋根の上にいる存在の声がこんなにはっきり聞こえるハズないのだが、きっとサーヴァントのもつ特殊能力とやらのせいだろうと自身を納得させる。
 時刻は零時をとうに越えている。
 どうせ明日は遅番だ、ここまできたらあと何時間起きてようとも大差ないだろう。
「ねぇ、そっちへ行ってもかまわない?」
 小さく紡いだ音を聞き取ったのか、アーチャーさんが僅かに顔を顰める。眉間による皺すら格好良く見えるのは、状況効果もあるのだろうか。
「感心しないな」
「そう」
 ならば何故話しかけた。今まで沈黙を守っていたのに、今夜に限って何故。
「無理はするものではないぞ、衛宮彩香」
 雰囲気とは裏腹に心配を示す言葉をかけてくるアーチャーさん。それがなんかこそばゆくて、私は軽く目を閉じ言う。
「無理なんかじゃないって、知ってるくせに」
 意地悪ね。
 紡いだ音はアーチャーさんの真横で落ちた。
「……」
「今更、でしょ?」
 数十メートルの距離を一気に跳ぶ。音も助走すらなく、空を渡る。
「君とは初めて会ったがな」
 憮然とした態度で見下ろしてくる存在に微笑みを向けて。
「初めまして、じゃなくおかえり、でしょ。日本語は正しく使うものよ、士郎」
「――」
 僅かに目を見開くアーチャーさん。分からないと思っているほうがおかしいのだ。私は――衛宮彩香は、衛宮士郎を間違えない。
「アーチャーさん、エミヤシロウは複数存在するかもしれないけれど、衛宮彩香は一人だけです。 だから私の事はフルネームで呼ぶ必要なんてないんですよ」
 アーチャーさんの隣に腰を下ろせば、屋根瓦の冷たい感覚に身震いした。
「とりあえず座ったら? たまにはゆっくり話してもいいでしょう?」
 寒さで赤くなる指先に息をかけて、隣の存在に座るように促す。間近で見れば見るほどいい男だ。士郎の数ある未来の一つが、こんな色男になるとは……我が弟ながら恐るべし。
「貴方はいつも女の子に囲まれてるからなぁ」
「人聞きの悪い事を言わないでくれ」
「本当のことでしょ? で、誰かと結婚したの?」
「……黙秘する」
 苦虫を噛みつぶしたような表情を湛えるアーチャーさん。これはまさか、生涯独身であの世に逝ってしまったのではないだろうか。脳裏を過ぎった不吉な考えを口に出すことはせず、「そう」と一言だけ切り返す。
「ねぇ、アーチャーさん。一つ聞いてもいいかしら」
「なんだね」
 静かな夜だ。
 風もなく、月明かりが静寂を優しく包む、良い夜だ。
 あの日も月明かりが周囲を照らしていた。帰宅したら士郎が一度殺された後で、セイバーさんと凛ちゃんがいて。思えばあの日を境に世界は動き出していた。
 月はいつ見上げてもソラにある。数多の星を従え、夜を支配する。
「私は……」
 僅かに目を細めて月を見上げる。視界を染める金色は私の好きな色だ。
「衛宮彩香は、いつまで衛宮士郎の傍にいたのかしら」
 私の問いに、アーチャーさんの肩がビクリと揺れる。
 聞かずともおおよその結末は分かっている。ただ、きっと……アーチャーさんの辿った道と今伸びている道は違うものだから。
「彩香はある日突然消えた」
「そう」
 痕跡一つ残さず「私」が消えたとアーチャーさんは声を落とす。
「まぁ死んだ訳じゃなかったよ、きっと」
「何故そう言い切れる」
 ありとあらゆる手を尽くしても衛宮彩香を見つける事は出来なかったと、アーチャーさんは苦い表情を私に向けた。
「姉は弟をおいてく存在だよ」
「待っていたと言ったら、どうする」
「帰る場所があるっていうのは幸せだね」
 アーチャーさんの言葉が嬉しくて、思わず笑みが漏れる。そんな私を驚いたように見つめる姿は、やはり士郎だと実感した。
「誰だって、誰かを待っているものなんだよ、士郎。覚えておいで、無限に存在する縁の中に必ず切れない……消えないものは一つ存在するんだよ」
 死ぬまで相手と逢えないとしても、必ず存在するものはある。
「だから、きっと……私が居なくなったっていうのは、そういうことだったんだよ」
「私には分からないな」
「そう? 士郎なら無意識で理解していると思うけどなぁ……。まぁ後悔してくれるなら嬉しいけどね」
 一時的にとはいえ、こんな格好良い弟の意識を占領出来たかと思うと気分がいい。
「そういえば、貴女は善人ではなかったな」
「どちらかといえば快楽主義者な気質はあるね」
 衛宮士郎は「正義」を目指した。
 そして衛宮彩香は――。
「私はね、士郎。目の前だけの幸せなんていらない。全ての幸せなんていらない。出来ない事なんて望まない。それでも」
 願うことはいつだって一つだけ。
「問答無用のハッピーエンドを」
「貴女は、矛盾している」
「ええ、矛盾だらけね。でもそれでいいんじゃない? 人間なんだから」
 月に照らされる存在に手を伸ばせば、温かみよりも冷たさが指先に伝わって悲しい気持ちになる。衛宮士郎は彼の願い通り英霊の座まで魂を昇華させた。
「私も、そろそろ頑張らないと駄目かなぁ」
「何の話だ彩香」
「んー、終わりのないゲームはどうやったら終わるんだろうなぁって考えてた。ほら、昔のゲームとかよくあったじゃない。終わりの無いゲーム。ああいうのってどうやったらエンディングがみれるんだろうね」
「……急にどうした」
 深夜屋根の上で話すには場違いもいいところな話題に、しんみりとしていた空気が一気に霧散した。
「ある意味アーチャーっていう存在は、士郎の最終形態みたいなものじゃない? つまり士郎はエンディングを迎えたってことでしょ。良いにしろ悪いにしろ」
「……そうとも、いえなくはないな」
「だから私も生涯を全うするために、ちょっとは頑張らないと駄目なのかなーって思ってみた」
 それにしても、とアーチャーさんの会話が入るまえに音を紡ぐ。
「いつから士郎はこんな男前になるんだろうねぇ」
 今も鍛えているが、ここまでムキムキではない。色味も違うし、なにより身長差がハンパ無い。ある日を境に急成長を遂げるのだろうか。
 精悍な輪郭を冷えた指先で辿れば、冷たさゆえかアーチャーさんが片目を細める。
 顎から首筋を通って肩のラインへ。
「彩香」
「んー?」
「手つきがいやらしいぞ」
「え」
 どこぞのスケベ親父か、お前は。
 声にならないアーチャーさんの声が聞こえた気がした。
「だってしょうがないじゃない」
「面食いだから、か?」
「なんだ、分かってるなら今更……」
「彩香」
 アーチャーさんが人の悪い笑みを口元に浮かべる。こんな表情は現在の衛宮士郎には出来ないものだ。同じであって同じでない。微妙な違和感に心音が早くなる。
「私の姿はお前好みか?」
「そりゃもう、ドンピシャね!」
 力拳を作って力説すれば、したり顔でアーチャーさんが目を閉じる。
「ならば……私にもチャンスはあるというわけだ」
「なんの話?」
「彩香よ、私はなんだったかな」
「なんだったか、って……凛ちゃんのサーヴァントでしょ?」
 私の答えに満面の笑みを浮かべるアーチャーさん。なんだろう、外気の寒さ以外に内面から冷えていくような気がするこの感覚は。
「仕事仲間とはいえ、敵と仲良く帰ってくるのはどういう神経だ?」
「げ」
「日本語は正しく使うものだろう? 衛宮彩香」
「あー、いや、その件に関しましては……って、なんで知ってるの!?」
 驚きを顕わにする私を、アーチャーさんは鼻で笑う。
 その仕草がむかつく程に格好良くて、どうしてやろうかと思った。
「私は「アーチャー」だぞ。それくらい容易いわ」
 たわけ、と頭を小突かれた。
「弓道やめたくせに……今更なんで弓なのかね、この弟君は」
 私のボヤキにアーチャーさんの手が離れる。
 そして、見えたのは。
「貴女が、得意としているからだろうな」
 どこまでも優しい、蕩けるような笑み。
「――反則」
 赤くなる顔を隠すよう頬に手を当てて、月明かりの陰になるよう視線を落とす。前々から士郎という存在の傍に女気があると思っていたが、これは非常によろしくない。
「どうした彩香」
「うー……姉をからかうものじゃありません」
「からかってなどいないが? 何故そう思ったのか意見を聞きたいものだな」
「ぐっ」
 衛宮彩香にして、衛宮士郎あり。
 正義を目指しているといっても、やはり士郎という存在は己の弟なのだという事実を目の当たりにし、私は頭を抱えたくなった。


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