4 徒然町ナルママニ…

この頁は 町自身に何か感慨深い事柄を ブツブツと
綴る頁です。
下な[レスする]から
その頁に対して コメント出来ます。
遠慮なく 町のタワケた話しに ご意見を下さい。

[書込]

11/11(Fri) 18:12
2016 11 11
村田豪太

今日は 「すぅやん」の日だね。飛び込んだニュース…
「リリィさん死去」


「今は…」「昔」…
その訃報を聞いて
久しぶり ヒデマロさんにメールを送った。


ひとつ…
また ひとつ …
流れて逝くよ。

鎌田リリィさん のご冥福を祈ります。

合掌。
さて…
僕は元気です。
FB を辞めて…よかったと思います。順調です… フェースブックは、過去のツールに成りました。

福岡市東区にある 「奈多の浜」から 吹いてくる風は雑音。
けったいな 腹黒い犬。
ついに、本性出したか…
可哀想な女がひとり…
未来なき同情の海を漂う。

借りた金
毎月返済中。なにせ、七年付き合ったから、ま、色々あるさ。
あと半年で完済♪
もう 終わりましょうか。

すぅやん…
ありがとう。

今日は 須藤秀隆の日。

109SH
[削除]

11/10(Thu) 00:30
ひたすら…
村田豪太

一本の道

ただ 一本の道

道のいく末は「涅槃」なり。

一本の道端の途中の柳の枝の戯言に 足をとられず。

一本の道
ただ ただ
涅槃までの 一本しかない道。

109SH
[削除]

06/15(Wed) 08:36
今日は…
村田豪太

2016年6月15日

先月末 57才で…
黒木龍一郎が 死んだ。

このHP は2011年辺りで 止まったままだ。


僕は 54才の最中だ。


また 始めよう。


HP
109SH
[削除]

04/18(Mon) 15:10
ハミダシモノ
ゴータ

去年…田口公人が 春一番のステージの日の5月5日 春一スタッフのステージ班をしていた僕に…面会の伝達。 ゲート付近に行った。 初めて一誉(カズシゲ)の姉とあった…
三重県伊勢市から わざわざ…春一まで来てくれたのだ。
彼女は 一誉が…天国へ行ってから 一度も弟の墓には行かず…
今だ心の中に『確執』が残る毎日を過ごしていた。
しかし…田口公人が大阪の春一番に出演が決まり…そこに辿り着けるまでの7年の歳月の『想い』が 彼女の止めどもない『涙』になって 零れた。

田口が歌うとき…
彼女は 田平の自宅から僕が連れて来た 一誉の遺影を手に 姉弟で…田口の春一を聴いた…
あれから もうすぐ 一年経つ。

昨日 整体院を朝開けたら 知らぬ着信が入った。
『はい、村田です』と…『あの…田川です。』女の声だった。
『一誉の姉』…です。

挨拶から始まり…長い電話になってしまった
電話の内容は …田口の唄う『My.Sweet.lover』を三重県のあるSingerが唄いたい…と言う事の確認だった…
あの曲は 田川一誉の楽曲を 田口がアレンジした。
『よか事ですね…あれはカズボの歌…弘めましょうよ、音楽やって冥利に尽きると言う奴です

あの楽曲は 彼が好きだった彼女への想いを 唄にしたのだ…
しかし…あいつも 優柔不断であった
まぁ 男は…しゃあない。それからカズボ(一誉)が死んでからの 彼女(姉)の話しを…聞いた。

それから…彼女の娘さんは…『カズボ』を感じて居るらしい…一誉の姪っ子に成るが …彼女はカズボが見えるらしい…
カズボは 三日天国に居たが…神様の目を盗んで…天国を『脱走』して、さ迷っているらしい…
神様は 諦めて 黙認している…いや 黙認させらるて居る…と。
彼は カトリック信者で田平カトリック教会の創設者 ドロ神父様側近の家系と言う。

浮遊霊になって…遊びまわっている。

時々…三重県にも 現れると…最近…田平の一誉の墓は空き家みたいだ。…それから…いつも缶コーヒーのリングプルを開け、煙草に火を点け、お供えをするが…それにクレームを着けていた

そんな話しを聞いたけど…多分 僕らは
否定しないだろう。

それは …田口も 僕も 仲間も
体験上…知っているから、奴が死んで沢山の不思議を、僕らは…目の当たりにしている。

『私が死んだ時…カズは私が天国へ連れて行く』と彼の姉は…わらう。

先日 三月…田口公人 関西ツアー…
田口は 新曲を連れて行った…
その中の 『ハミダシ者の唄』…
僕は 気が着いていた…
歌詞が まるで 田川一誉 を 歌った唄だった…が
でも…しかし
田口は 気が着いてなかった。
先日…『浪花四人衆』の平戸ライブの段取りで 何度か 平戸へ行った時…
田口は 呟いた…

『ブーニィ…あの唄さ…なんか、カズボの唄んごたる
ええ…今 気付いたと?

田口さんは 笑いながら…
『また…やられたばい』と笑い出した。

田平町の夜空に 白い月が…浮かんでいた。


はみだし者は
いくつになっても
はみだし者で
六月の 霧の雨の中
旅立って …しまった。

910SH
[削除]

04/15(Fri) 16:55
収支報告かちがらす
ゴータ

 チケット収入 72000円
内訳: 2000円×35名+1000円×2名

 支出 41000円
 内訳: 松千への謝礼10000円 PAの謝礼5000円 チラシ作成費3000円 車代6000円(3000円×2) ワンドリンク分の支払い17000円(500円×34


 残高 31000円
 ※この31000円を全額、チャリティーとして東日本大震災救援募金に寄付させていただきます。
 振込み先に関しては、こちらで慎重に検討し、また後日きちんと皆さんに報告するようにします。

 参考までに、打ち上げ会の不足分19000円は”かちがらす”の会計から補填しておきました。

決算報告は以上です。

今回、ライブの場所を快く提供してくれてPAまで担当してくれた地球屋の沖津さん、このライブをセッティングしてくれて自ら歌まで歌ってくれた豪太さん、チラシを書いてくれたあかしさん、当日の受付と会計・メンバーの送迎をしてくれた美代ちゃん、打ち上げの最後まで残って収支決算とみんなのお世話をしてくれた戸辺さん、
リハーサルの時にたくさんの食料を差し入れしてくれた江利子さん、歌詞カードを作成してくれた克ちゃんと美和ちゃん、それに楠林さんと横田君とジョージ君、皆さんどうもありがとうございました。
そして、お疲れ様でした。
幸松成実

……………………………

皆さん、12日のライブお疲れ様でした。
川内の家族もすごく喜んでくれていたし、お陰で良い追悼ライブになったと思います。
松千には昨日僕の方からもお礼のメールを出しておきました。

豪太さん、”一曲入魂”あの「ブラザー軒」はまさにそんな魂の篭ったボーカルでしたね。
確かにあれだけ歌い上げるにはかなり反復練習したんだろうなと、僕も同じ歌う側の立場から推察していました。
きっと川内もあのオープニングには度肝を抜かれたことでしょう。
そういう意味では、なかなか意気な演出で良かったと思います。

ただ、できればその熱意を先にこっちにも伝えておいてほしかったな。
前日にでも「これで行くぞ〜」ってメールもらえていたら、原曲を聴いたりして予習できたのにと、同じ波に乗りきれてなかったこと、ちゃんとギター付いて行けなかったことを少し残念に思っています。

実を言うと、僕は日曜日の練習の後、武原に頼んで「生活の柄」の音源をパソコンに送ってもらって、それを何度も聴きながら当日の朝まで曲の構成を覚えたり、ギターのフィンガリングやコーラスのタイミングなどを繰り返し練習しておりました。
どちらの曲もスリーコードには違いないですけどね。歌詞の内容と込められた思いが全然違う。歌詞の内容を自分が咀嚼できているのとそうでないのとでは、やはり演奏にも違いが出てくるような気がします。現に僕はせっかくの素晴らしい演出に水を差してしまった。

と、自分の腕の未熟さを棚に上げて思いっきり言い訳しておりますが、実際はけっこう気持ち良くギター弾かせてもらっていました。たまには人のバックに回るのもよいものです。とても勉強になりました。豪太さん、ありがとう!

横田君のピックアップはセッティングの段階で音が出ませんでした。
僕の取り付け方が悪かったのか、プリアンプの電池切れだったのか、原因は判りませんが、やはり」持ち主でないと、ギターもですが、ちゃんと音を出してくれないようです。ごめんね。

ちなみに、松千の松本健太さんは、ピエゾとマグネチック、二つを取り付けて、ミキサーでブレンドさせて音を出していると言っていました。
マグネチックタイプの方は、お塩コータローなどが使っているものと同じサンライズ製だそうです。参考までに。

戸辺さん、打ち上げの最後まで皆のお世話ありがとうございました。
あれだけ遅くまで皆に付き合っていたら、誰だって酒強くなりますよ、豪太さん。
今度は豪太VSかちがらす、酒でバトルしましょう(笑)。冗談よ。

追伸: 中川五郎ライブ、毎年同じ顔ぶれではマンネリになるので、今年は違う人たちとのジョイントをメインに考えた方がよいと思います。
佐世保にはまだまだ多くのミュージシャンが待機していますからね。

ということで、皆さん本当にありがとうございました。
また逢いましょう。そして豪太さん横田君、またギターでセッションして遊びましょう。幸松成実

(転記…幸松承諾済み)

910SH
[削除]

04/15(Fri) 16:30
原田敬一郎@
ゴータ

夕べは…諫早市内を流れる 『本明川』の河川敷…原田敬一郎の『命の日』そう…諫早干拓事業で失った『自然』と『命』を考える…と言うか。

ただ 毎年 河原に集まり ローソクで 河川敷に文字を点し…
鐘を鳴らしながら 諫早の街の中を 横断幕を掲げて歩く。
そして…河原で 小さなライブをやって 解散する。
敬一郎が 国を相手に 干潟の生き物『ムツゴロウ』に変わり代弁訴訟を起こした…あの日から
敬一郎は『命』を叫び続ける…
原田敬一郎を初めて知ったのは 僕が高校生…当時 京都で大学生をしていた敬一郎が出した『Hello…good.bye』 と言うLPレコードを聴いた。
当時は…佐世保出身のクリスタルキングの大都会が流行っていた。
流行とは 裏の…音楽の存在を 初めて確認した。
僕は敬一郎の唄…が
心に染みた。 まだまだ子供だったが
ちょうど 大人への階段を少しづつ登り初めていたのだろう。

ある日 『うえすとっぷ』と言う 音楽喫茶で…
『あべあきら・原田敬一郎コンサート』とポスターが貼ってあった…
原さん(マスター)に頼み 前座を…させてもらう事に成る。

初めて会う 原田敬一郎は 故郷の愛野町に帰省して『札幌』でのライブで知り合った札幌美人(当時は…)の『よう子』さんと結婚して
家業を継いだ ばかりだった… よう子さんの腕の中には 赤ちゃんが眠っていた。

じっと 死んだ真似を してようか
優しさの似合う京都の街で…
目を開ければ 見て しまうから…
耳を 開けば 聴いてしまうから …
見よう 見真似で 娘に成って
よくある…話しで 女に成って
だけど その日で 女は捨てた
それが 私の『生きる』って事さ ……
振られたんじゃないんだろう…笑って 見送ったんだから
また 恋をしたら
きっと 君に 似ているよ…
三曲 …唄った。生きる…と言う歌は、釜の『寄って来』で…唄った。
全て …敬一郎の唄を歌った。

あれから …もう 何十年過ぎただろうか。
僕が40才の時 『再会』した…と言うか
敬一郎を 尋ねて行った。
敬一郎は 代弁訴訟のストレスから 全身の毛が抜け落ちていた。 また…親父さんが亡くなったばかりもあった。
また…当時 愛野町の町会議員であり…音楽から 離れていた。
それを…親友の『あべあきら』は心配していたらしい。

敬一郎には22年ぶりに会った。しかし…音楽はやっていなかった。

『敬一郎さん…昔みたいに 佐世保で あべあきらとのライブをしたかとばってん…よか?ですか?』
敬一郎は 自分の敷地内にある 唐古の断崖に造った『ひみつ…のデッキ』左に 雲仙が見える。正面は橘湾…絶景

『村田ぁ…ここはさ あいだけ『すかん』かった親父が死んだ時…気力の抜けてさ…こんままじゃ おいは ダメに成るばい…と思ってさ 創ったったい』
それは それは 断崖絶壁で それに 突き出すウッドデッキである。 大自然 山と海…に 囲まれ何日も ここに居たと言う。

しゅんしゅんと沸く ヤカンから…お湯を 注ぐ…
カリタのコーヒー。

『村田ぁ…してみゅうか…あべに電話しゅう』

敬一郎は 東京の放送作家あべあきら …に電話をした。
それから…二ヶ月後の414白浜コンサートの翌日 佐世保の街で 22年ぶりのコンサートを…
『井戸端コンサート・佐世保』 を 開催した。
・松尾忠治
・田口公人
・あべあきら
・原田敬一郎
サポート ・大久保エイジ
※初めて エイジと会う。
チケットは完売。大成功。…打ち上げは 田口公人の『バーガーランド』だった。

あれから…色んな事あった。

敬一郎の会社は 息子が帰り…後継ぎに構える。 彼は 映画監督を目指し 東京やアメリカを行ったり来たりしていた 若者で…あの日 抱かれて居た赤ん坊。
一昨年…東京から 可愛いお嫁さんを 貰った。

奥さんが また 『赤ん坊』を抱いて居た…
敬一郎の孫とは 知らず僕は 抱っこしたら 泣き出した。 あらあら…すぐにママに返したら 泣き止み 唇を ぶぶぶ…としてた。
ひょっとして…
ひょっとして…

敬一郎の孫?
『そう
………………………
ジジィの敬一郎は …
会場をかたしていた。
カメラが壊れてるから 写せなかったけど…
美しいろうそく文字だった。
沈黙の行進…それは 佐世保で反戦を唱え活動する 武蔵野たんぽぽ団の朝比奈さんの 義父 藤原先生も 同じだ。
『がんばろう東日本』 そう書かれた大きな幕。

命や ギロチンは なんも叫ばなかった。
義援金 …は?と 聞いた。
『馬鹿ぁ村田…おい達がそがん事したら 過ち犯すやろが…本当の想いは『金』ぢゃなかとぞ。金は責任ある事やっけんね。たやすうしたらいかんとばい。』

僕は やっぱ 敬一郎と出会えて よかったと 思った 夜だった…。

ぶぶぶっ …
敬一郎の 『孫』…
命…
私の 足元の『平和』…が 世界の平和に 繋がって行く。

『がんばろう東日本』

910SH
[削除]

04/14(Thu) 14:51
414イサハヤ
ゴータ

あれから …14年を迎える。
有明海…諫早干拓事業で 海が死んだ。
『公共工事』ジアゾの青写真は 随分昔からの計画だった。
しかし…もう必要ではなかった。
『国』の工事…群がる工事業者 と ゼネコン。
『必要』なのは 金。
金に群がる 人。 不必要でも 計画は遂行される。 それが…公共の工事であり 『私腹』を肥やす…政治家 政党を肥やす。国民の血税により…
自民党 竹下内閣から始まり …橋本内閣が ギロチンのロープを切った。
その内閣に顔を出していたのは 『小泉』 『谷垣』『与謝野』… であった事を 忘れては成らない。

あれから…の流れには
あれからの『私』『僕』の人生の流れと 重なり合う。

東日本を襲った大震災…
『亡くなった命』の数は近代日本では 想像つかない…状況である。

そして 理不尽な『原子力開発』『電源開発』に
多大 過大な血税を注ぎ込んだ『結果』…取り返しの着かない事態となった 福島第一原発。
人は 『富』の為だけに…『金』を追う。
『金』を追い 『金』に支配されても…
『金』に支配されし者 よりも『時空』『自然』を支配する者の存在を知らぬ高慢さの…結果である。
しかし…立ち上がらなくてはならない。
民が 民で 立ち上がらなくては ならない。

諫早ギロチン も
沖縄基地問題 も
福島第一原発 も

その『根っこ』は 同じなのだ。

政治家と『金』
しかし…政治には金は必要だ。
政治…家。 と 『金』なのだ。
そして そこには 虫から人間まで 消えて行く『命』が …ある。


エアコン工事を終えた…
汗を流して

『イサハヤ』まで 走る。
バックシートに
ギターを 積み込んで …

910SH
[削除]

04/13(Wed) 17:51
2011・4・12地球屋
ゴータ

ええ…ライブでしたね。 ご苦労様でした…
僕も一曲…楽しませてもらい ありがとう。
高田渡…ブラザー軒。
前の日から 歌詞を何度も読み。 三回 写書しました。 歌詞は 死人の歌。しかし…ワルツに乗り 楽しく死人と 踊る歌。 単調なワルツのリズムなので…身体が動きだしました。 歌って居て 気持ちよくて。

死人…と 残された者。
そう僕らは 『残されたもの』
いずれかは …あの世に行くのだから

『単調なリズム』に『字余り』の歌詞…ムヅカシイ歌です。

何度も何度も 歌詞を音読した…なんて 初めてだよ。
まぁ 松千 かちがらす そして僕。
ジャンルは それぞれだけど基本は『三つのコード』7th 9thの『子音』が入るだけの違い。
でも…『日本語』が1番大切なんだよね。

リーダー川内君 …喜んだだろうね。
『新しく生まれた』かちがらす…今後の活躍を
まぁ 少しは 期待してるよ。

では…ほんま ええ夜
ええ…ライブ
ええ…想い出に成りました。

また 逢いましょ。
追伸・横田君…ピックアップは マグネットタイプが よいよ。
いつか D40弾かせてね。

戸辺ちゃん…やっぱ貴方はお酒が よく似合います

幸松…夏 また 中川五郎さんと やろう。 いや 秋来てもらおうか。

では…
村田 豪太

…………………………

昨夜は 地球屋と言う南国食堂で
昨年…死んでしまった
リーダー川内君の追悼ライブでした。
川内が 応援していた メジャーで頑張って居る『松千』の ふたりも 東京から駆け付けてくれました。
今回は 『かちがらす』主催のライブで
僕は…内容を少しお手伝いしただけ。

かちがらす…は
故坂庭さん…から、かわいがられた視覚障害を持つ ユニットです。
高田渡さんとは 一緒に酒をのみ ごろ寝した仲。

だから Openingに 僕が選んだのは 高田渡と言う歌。

ブラザー軒 でした。

910SH
[削除]

04/08(Fri) 10:04
メッセージ・福岡風太
ゴータ。

3回目のゲンバクです。

福岡風太

 あまりにもデカすぎる追悼コンサートなのかもしれません。
1995年5月の16年振りに復活を果たした「春一番」も、
阪神淡路大震災から3ヶ月後くらいでした。
2011年の「春一番」は東日本大震災から2ヶ月足らずの時期に開催します。
 今回は地震と津波だけでも3万人近くの方達が亡くなりました。
 第二次世界大戦時の広島、長崎に続いて福島で日本史上3回目の
巨大ゲンバク被害が予想されています。
世界中から原子力発電所は無くならなあきません。
放射能被害のむごたらしさや、ひつこさを思い知ってきた
「日本国民」のハズです。

だから「ゲンパツ」は、もともとやったらあかんことなのです。
この先、どれだけの人達が「放射能の毒」と対決する生活を
強いられるのか、想像もすきません。
今日の今 生まれたばかりの赤ちゃんは いきなり毒の空気や
毒の食べ物を覚悟するしかないのです。
オレ達死にそこないの老人達はアキラメもつきます。
オレ達の子供の子供の、そのまた子供の………
「放射の毒」は半永久に地球に残っていくのです。

 電気を頼りにする現代日本の文化的?な生活を考え直すべきです。
あのケータイだってイザという時に何の役にもたたなかったのです。
便利なキカイを器用に使いこなすのではなく、キカイにこき使われている生活を反省します。
生きていくために「ホントウに必要なモノ」を確かめたいです。

 物心両面

 関西テレビの山本浩之アナウンサーが夕方のニュース番組「アンカー」で
うまいことコメントしていました。「物心両面で応援しましょう!」
 オレには「物(モノ)」はムリやからなあ。金ないんやから。
そやけど「心(キモチ)」は自由に飛んで行ってくれると思う。
「心(キモチ)」の表現方法が音楽かもしれんへんし、スポーツかもしれへん。
アーチストは自由に「心(キモチ)」を発信する。
 「春一番」は歌のコンサートです。
40年前からずーっと、歌心(うたごころ)を大事にするコンサートです。
人の心をいやしてあげるとか、元気づけてあげるとか、
そんなオコガマシイこと口には出せません

歌を受け取る人達が自由に感じてくれはると思います。
アーチストとお客さんとスタッフとみんなが心を寄せ合う
「祝春一番2011」の6日間にしたいと思います。

posted by 祝春一番2011スタッフ at 00:00|日記


………………………


勝手に『春一番』スタッフ日記…より転記しました。

ご存知の通り…
1971年に 春一番コンサートを立ち上げ…
日本の音楽シーンを創り上げてきた風太さん。

1990年代の『忌野清志郎』の音楽舞台監督でした。
僕は 風太さんの傍に居て 沢山の事を教わり 話しを聞き …叱られ また 叱られ…今の『村田豪太』が在ります。

ここ…数年。 また 昨年… 天国へ移住される要人が増え…昨年末には 『あべのぼる』さんも…召されました。
『生き残るもの』は 哀しみに 翻弄され…
ほんまに 『残る…もの』の 哀れさを 感じてましたが…
その『残されたもの』にやれる事は 『生きる』事。 『生きて』『やりあげる』が…今日で在り 明日である。

『祝春一番2011』は …
でっかい でっかい 追悼コンサート 。

『心』は『唄』…
やっぱり…風太さん ええ仕事せなあかん様に
なってんのんやね。

泣く か 呑む…か

いや…『やりましょ
いや…『行きましょ

僕も…行く
服部緑地野外音楽堂。

『物』と『心』備えて
『復興』して行くのだ………。

910SH
[削除]

12/27(Mon) 23:25
あれから…
町ゴータ

梅雨明け前の蒸し暑い 夕方…平戸市崎方町
平戸の海から吹く湿っぽい南風 …に、滲んだ汗を拭いた。

『大渡長者』と言う 平戸老舗の喫茶店の開店 20周年 記念ライブ。
店の横の路地で カンビールを 開けて 乾杯をした。
確かに 『始まりに乾杯』と …何故か そんな乾杯だった。

田口は 長年やって来た ハンバーガー屋を その月で辞める決心をしていた。
彼は ハンバーガー職人。 『バーガーランド』の店主。今だ、その腕は衰えず…

その店『バーガーランド』…と言っても 体育祭で使う 天幕を二つくっつけた だけ…

しかし 佐世保で音楽を目指す若者 …が
集まる…しかも ジャンルは バラバラで あった。

乾杯のメンバーは
売れないモデル…『ふぉんり』
佐世保ジャイブ団 の 『フォクシー』今は 『popoo』… その後 彼の兄貴が営む『じゃがいも』と言う居酒屋…をライブが出来る様 器材を設置…
田口とは 古い付き合い…黒木龍一郎
故人田川一誉 …
そして 僕。

その日のライブには一誉(カズシゲ)と ふたりで 『やがも』と言う…ユニットを組んだ。

一誉は『癌の告知余命の時間を』自分で…消した。 その前に 彼は 自分の骨が 勝手に折れる 難しい難病を患って居て
ギターを弾く 右手首は何時もギブスで固めてあった。しかし その不自由な手で ギターを弾いた。
揺れる 白熱灯の あの天幕のバーガーランド
スチール弦を 弾き上げる独特な音…

そして 一誉の唄う『アベマリア』
田口公人の名曲『チョコレートパフェトゥナイト』を 作り始めから …一緒に居た男だった。

ふぉんり…が New zealandへ 旅立つた日
ふぉんり は 青く光り流れる星を 飛行機の窓から 明け方に見たと言う。

ねぇ ふぉんり …付き合ってくれないか?
一生一度の お願いだ。
ごつごつの 軽トラの車しか 俺 ないけど…

眠そうな声で 今 何言ったの?
もうすぐ お前の 家に着くよ。

危なげな生き方と 不器用な言葉に
疲れきって 薬で眠る
お前…乗せて 今夜を走る。

ライラ ライラ ライ……
(マチゴータ唄より)

この唄は New zealandに旅立つ三日前に
一誉が 突然電話をかけて 一晩中 彼女を連れ廻した話しから 作った。

そして…ふぉんり が
New zealandへ 旅立ち到着した朝
田口さんからの電話で…
一誉の訃報を知った。

まぁ 夕べのラジオ…
そんな 付き合いの在る 四人で ダラダラと …

田口さんは ふぉんりの番組の準レギュラー みたいに『月一』 黒木龍一郎と出演して居る。

田口さんは 生ギターで唄った。
途中…横道坊主の吉田義人さんとの 中継が入り
僕は うつら うつら…と居眠り。
『長い』ふぉんりの 掟破りは 今更 ではない…想定内で文句言えず…
時間的 10分 押してる。
しかし…ラストの曲をキャンセルさせて 今年の田口さんの 祝春一番出演の話しから 春一番の説明と しかし 説明つかんね…

押し詰まり
おくむらひでまろ…さんのCDを流した。
『黄昏れ』…が 佐世保の街に 流れた。
しかし やっぱ ええ曲やね。 ひでまろさんの話しを した。

『ええ唄…歌う人』だと。
今年は 星になった人が多かった事と
最後の最後に
THE BEATLESと 仲間と大阪の街に 見送られ
星に なった 『あべのぼる』さんの事も …

スタジオブースを 出た。
詳しくは…
http://happyfm873.com/fonlly/_3145.html

★写真右はし …けして セーヒク族では ありません 。膝 曲げてます

910SH
[削除]

[次へ][TOPへ]
[書込]
[カスタマイズ]



©フォレストページ