short

□人魚の歌1
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 俺の家族は毎年夏休みの数日を海辺にある祖父母の家で過ごす。それは今年も同じで、去年と変わりなくそれなりに楽しい時を過ごした。最後の一日まで、これといった特徴のない、穏やかな時間が過ぎていくのだと疑わなかった。

 ……けれど、その予想は大きく外れることになる。



 最後の日。明日には帰るということもあり、祖父と父さんは二人で酒を呑んでいた。母はとっくに寝てしまっている。時刻はかなり前に深夜を過ぎていたけど眠る気になれず、かといって出来上がったオヤジ共に絡まれるのは嫌だ。

 悩んだ末、俺は散歩でもしようと決めた。台所にいる祖母に声をかけ、サンダルを引っ掛けて家を出る。むっとした夏の夜独特の湿り気を帯びた熱気と、潮の香りが俺の身体を包み込んだ。

 歩いて五分も経たずに海岸に着く。目の前に広がる黒い海。人気のない静かな夜の海岸は俺の心を落ち着かせた。強い潮の匂い、ざりざりと自分が砂を踏む音、打ち寄せる波の音、それに乗って聞こえて来る歌声……


「…………歌声?」


 そこで俺は足を止める。暗闇の向こうから歌声が聞こえるのだ。小さいが、はっきりとした女性の声。誰のものかはわからない。俺は何となく気になって、引き寄せられるように声のするように歩いて行った。


『──……』


 聞いたことのない歌だ。どこか切なさと懐かしさを感じさせる、不思議な歌。女性の歌声と波の音が絡まり、闇に溶け込むような旋律ゆ作っている。

 海と陸の境目に、彼女は佇んでいた。

 少し小柄な背丈。年齢は俺とそう変わらないだろう。Tシャツから覗く肌は月明かりに照らされてやけに白く見える。踝まで海水に浸かり、海の向こうを見つめながら歌っていた。結われていない彼女の髪が海風に煽られゆらりと揺れた。
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