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□ありふれた願いを込めて
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※「僕らの幸福論」七夕ネタ。未登場人物あり。








「……あ、笹だ」


 大学から木犀荘への帰り道、商店街のあちらこちらに緑色を見つけた私はふと足を止めた。道の中央に青々とした笹が立てられ、その傍には小さな机が置かれている。机の上には色とりどりの短冊とマジック。七月七日に向けて商店街の人たちが設置した七夕の笹だ。

 短冊にはもうすでに誰かが願い事を書いているようで、笹の葉の間できれいな色が踊っている。中には折り紙で作ったらしい切り飾りもあって、なんだかほっこりとあたたかい気持ちになった。

 近づいて、枝に結ばれたひとつを手に取る。『いもうとがげんきにうまれてきますように。かっこいいおにいちゃんになれますように。 とおる』と黄緑色の短冊に不格好な字で、それでも一生懸命に書いてあって、思わず微笑んだ。……この子、お兄ちゃんになるんだ。

 『○○高校に合格しますように』『家内安全』『商売繁盛』『彼と結婚したいです』『単位をください』『彼女が欲しい!!』エトセトラエトセトラ。様々なお願い事があって、読むだけでも楽しい。

 どれ、私もひとつ書いてみようか。そう思って、桃色の短冊に手を伸ばした。さて何を書こうかな、とマジックの先を顎に当てながら考える。

 木犀荘の家内安全、おかあさんの健康祈願、史人さんの院誌合格祈願、奈々子さんがいい所に就職できますように、秋山さんがもう少し静かになりますように、達己さんのファンが増えますように、それとも、祐希さんに……

 そこまで考えて、ふと我に返った私は慌てて首を振った。頬がものすごく熱い。何を、考えてるんだろう私は!

 手元を見ると、くしゃくしゃになった桃色の短冊が悲しそうに私を見上げていた。動揺したせいで握ってしまったようだ。これじゃあ、もう書けない。

 ……今年はもう、お星さまにお願いするのはやめておこう。私は深いため息をつきながら紙屑になってしまった短冊を折り畳んで屑籠に捨てた。書きたいことはたくさんあるけど決まらないし、おまけに変なこと考えるし。

 参加したかったな、と願い事が鈴なりになった笹に背を向けながら、その日の私は後ろ髪引かれる思いで帰路についたのだった。









「たっだいまー! おかーさーん、これ、庭に置きたいんだけどー」

「お帰りなさい、啓太君……あら。あらあらあら!」


 人知れず葛藤した日から数日後。夜になって帰ってきたらしい秋山さんの声が玄関から響く。キッチンから顔を出して出迎えたおかあさんが驚きと喜びの入り混じったような声を出したから、何事かと思って居間で寛いでいた私と祐希さんも一緒に廊下に出て玄関を覗いた。


「秋山さんおかえりなさい。どうしたんですか、って……」

「すごいの持って帰ってきたな、秋山」

「だろ?」


 秋山さんが得意そうに笑う。彼の肩には、立派な笹が一本立てかけられていた。商店街にある笹よりもふたまわりほど大きいそれは、玄関に入りきらずに外に飛び出している。


「どうしたんですかそれ」

「バイト先の人がさ、切りすぎたから持ってけって言ってくれたんだ。明日七夕だし、皆で願い事書いて庭に飾ろうぜ」

「なるほどな」

「いいわねぇ、素敵じゃない」


 秋山らしいな、と頷く祐希さんの横で、おかあさんが上品に手を合わせてうっとりとする。半歩下がってその様子をうかがいながら、私は内心ため息を吐いた。……話の流れ的にきっと半強制で書かされるだろう短冊。それに、何を書けばいいんだろう。

 折角だからと、二階の自室に籠っている住人たちにも声をかけ、居間で七夕飾り作りが始まった。史人さんにはもしかしたら断られるかも、と思ったけど、ちゃっかり参加してくれている。最近だんだん疲れた顔でご飯を食べていることが多くなったから、良い気分転換になるといいんだけど。


「書けた! 俺の渾身の短冊!!」

「『世界征服』……? ケータ、あんたまたそれなの?」

「菜々子さん手厳しい……」

「達己さんは何書いたんですか?」

「うん? とりあえず『いいネタが降りてきますように』って」

「あぁ……商売繁盛かと思ったわ。俺は普通に合格祈願かな」

「史人さんが切実過ぎて秋山は涙が出そうです」


 木犀荘の住人が集まった居間は一気に賑やかになる。その中心に居るのは言わずもがな秋山さんだ。秋山さんが得意げに掲げた短冊を菜々子さんが一蹴し、大げさに落ち込んだ彼を見て笑いつつもその話題が伝播していく。それがいつものパターンで、私も積極的に乗っかっていくんだけれど、今回は参加せずに手元を睨みつけていた。

 案の定手渡された淡いオレンジ色の短冊には、まだ何も書いていない。何を書きたいのか、あるいは何を書けばいいのかわからなくて筆が止まったままなのだ。


「あれ、伊織は願い事書かないの?」


 唐突に向かい側から声がかかり、私は視線を上げた。さっきまで秋山さんたちの会話に入っていた祐希さんが、いつの間にか頬杖をついて私の手元にある白紙の短冊を眺めている。何書いていいかわかんなくて、と苦笑気味に打ち明けると、そうか? と首を傾げられた。


「なんでもいいんだよ。シンプルに思いついたこと、何でも、何枚でも。秋山みたいにさ」

「……祐希さんは何書いたんですか?」

「うーん、とりあえずは、史人先輩の合格祈願かな」

「自分の願い事じゃないじゃないですか」

「誰かの願い事を叶えてほしいっていうのも、立派な願い事だろ。伊織も書いたら? 先輩もきっと喜ぶよ」


 どこか府に落ちないけれど、祐希さんがふにゃりと笑ってそう言うから、そういうものなのか、と納得してしまう。……なんだか、悩んでた自分が馬鹿みたいだ。

 とりあえず、でも気持ちを込めて『史人さんが大学院に合格しますように』と書いた。祐希さんに言われて書く形になってしまったけれど、私だって心から願っていることだ。いつも夜遅くまで卒業論文やら試験勉強やらで起きている史人さん、どうか、彼の努力が報われますようにって。

 書き上げた短冊を縁側に固定された笹の枝に括り付けようと手を伸ばす。笹の枝にはもう既に何枚か短冊が下がっていて、木犀荘の住人達それぞれの願い事が書かれている。……そのほとんどが、自分のものと同じような内容が書かれていて、思わず破顔した。皆、人のことばっかり書いてる。

 史人さんの合格祈願たちを眺めながら、ふと、もうひとつ願い事を思いついた。短冊をもう一枚、今度は水色を取って、さらりと書き上げる。そうして出来上がった二枚目の短冊も、他の願い事の中にそっと紛れ込ませた。






 明日はお素麺にしましょう、とおかあさんが言った。戸棚の奥で眠っている流し素麺機を出して囲んで、食後に水羊羹でも食べながら、縁側で笹と天の川を眺める。きっと素敵な夜になるんだろう。

 素敵な七夕になりそうですね、と隣に立って笹を眺めている祐希さんに投げかけると、そうだね、と彼は穏やかに返してくれた。


「で、結局伊織は何て書いたの?」

「『木犀荘の皆が、シアワセでありますように』、ですよ」







▽ありふれた願いを込めて








補足:達己さんは副業アーティスト、史人さんは院志望の四年生。とおる君は夢追人より。
150707

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