RKRN連作小説
□秘密の姫君7
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草木も眠る丑三つ時。
とうに灯りの消えた忍たま長屋の一角から、僅かな光が漏れて湯気が立ち上る。
「ふあー…」
今は自分以外誰もいない共同風呂で温かな湯に肩まで浸かって、小平太はのんびりと息を付いた。
この頃はいよいよ寒さも増して、こうして一日の終わりに少し熱めの湯を使えばそれだけで生き返る思いがする。
小平太はいつもこれぐらいの、他の忍たま達が寝静まっている時間帯に湯を使うようにしていた。
理由は勿論、本当は女である身体を隠すためだ。
まさか湯浴みだというのに着衣したまま風呂場に入る訳にはいかない。
その上この忍術学園の風呂場が全学年共同のものであったために、身体を隠そうとすると時間をずらすしかないのだ。
夏場などは最悪、外で水を浴びれば済む話だが、冬も後半に差し掛かる今の時季にそれではさすがに辛い。
最も、つい先日正体が知れてしまった伊作にそんな話しをしたところ、
「女の子は身体を冷やしちゃダメなんだから、水浴びだけで済ませるなんて絶対ダメだよ!」
と大目玉を食らってしまったのだが、この際それは置いておく。
かつては兄の背中ばかり見ていた自分に出来た、初めての“親友達”。
自分と当たり前のように肩を並べてくれる彼らとは、いつだって対等でいたいのだ。
「………私が本当に男児であれば良かったのになぁ…」
小平太はそっと自分の胸元に手を延ばす。
『七松小平太』として生きて行くと決めた日から、ただの一度たりとも欲しいと願ったことなどないにも拘らず、そこには同い年の女子よりも明らかに豊かに発育した柔らかな胸があった。
いつも晒しで潰して貰っているのであまり気にしていなかったが、これだけ大きいと長次も大変だろうなぁ、などと他人事のように考える。
実際長次は別の意味で大変な苦労をさせられているのだが、まさにそれは本人のみぞ知るところだ。
「………だけど…」
思い出されるのは、先日の実習でのこと。
化粧をして、髪に香水を纏わせて、華やかな着物を着て。
町を歩いて、贈り物を貰って、恋結びの神社にお参りをした、あの時に感じた心の温かさを。
もしも自分が、産まれつき兄であり『小平太』であったなら、それは生涯感じ得ぬものだっただろう。
それを思うと、この女の身体もそんなに悪いものでもないような気がしてくるから不思議だ。
それに、何よりも大事なのは“身体”ではなくそこに宿る“心”なのだと教えてもらった。
この言葉を思い出す度に、コンプレックスに沈みそうになる気持ちがふわりと軽くなるのだ。
「文次郎、留三郎、伊作、仙蔵、…それに長次。 私は本当に、良い友に恵まれたな…」
ふう、と温かいお湯の中で大きく息を吐き出すと、自然と力が抜けるようで心地良い。
しかしいい加減長湯をしていたので、そろそろ上がろうかと腰を浮かしかけた時だった。
―――脱衣所から、ガタリという物音と人の気配がしたのは。
「!!?」
小平太の表情からざぁっと音を立てて血の気が引いていく。
これは間違いなく、誰かが風呂場に入ろうとしている音だ。
マズイ…!
今入って来られたら、確実に裸を見られてしまう。
さずがの小平太にも、手拭い一枚で無駄に大きい胸や丸みをおびた体型を隠し通せるとは思えなかった。
しかし此処は風呂場で湯船の中で、逃げる場所もなければ隠れる場所も無い。
そうこうしている内に、風呂の戸がガラリと開かれ―――入って来た顔に、小平太は今すぐ嘘だろ、と叫びだしたい気分にかられた。
「お、何だ小平太じゃないか」
「………も、もんじろう…」
入ってきたのは、よりにもよって顔見知りである上に正体の知られていない文次郎だった。
これがまだ伊作や仙蔵や長次であったなら咄嗟に顔を伏せて出て行ってくれそうなものだが、文次郎相手ではそうもいかない。
それどころか、
「いやぁ、最近はすっかり冷えるなぁ」
などと言いながら足早に湯船へと近付いてくるものだから、小平太は慌てて湯船の縁に張り付いて身体を隠した。
今更何をしても手遅れな気がしなくもないが、小平太としては裸を見られるなんて考えただけで恥ずかしくて赤面してしまう。
「文次郎…何で、こんな時間に風呂なんて…」
こういう事態に陥りたくないがために、わざわざ時間をずらして入浴していたというのに、一体何故こんな深夜になってから湯を使いに来るのか。
やはり変な考え事をして、いつもより長湯をしてしまったのが悪かったのだろうか。
「いや何、この時季の会計委員会は決算に向けて忙しくてな。 今夜は鍛錬の後に夜を徹して帳簿を整理する気でいたんだが、伊作に見つかって徹夜するならその前に鍛錬の汗をきちんと流して身体を暖めないと、今の時季は風邪を引くと言われてなぁ」
おのれ伊作、余計な事をと心の内で怒鳴ってみても、この状況からは脱せない。
元々この文次郎という男は筋金入りの夜型人間なのである。
「そ…そうか…」
自分から話を振った手前一応相槌は打ったものの、実のところ小平太にとってそんなことはどうでも良かった。
問題なのは文次郎が『何故』こんな時間に風呂場に居るのかではなく、『風呂場にいる』という事象そのものなのだ。
水面が大きく揺れて、掛け湯を済ませた文次郎が湯船に入ってくる。
もう小平太はいっそのことぎゃあと叫んでしまいたかった。
顔見知り―――というか同級生の中でも親しい間柄なのだから当然かもしれないが、湯船の中で文次郎が腰を落ち着けた位置が、物凄く間近だったのだ。
「ところで、そういうお前は何でまたこんな時間に風呂に入ってるんだ?」
「え゛…っと、だなぁ…」
さて、何と答えたものだろうか。
まさか馬鹿正直に女だからです、なんて言える訳もないし、さっきから元々上がろうと思っていた所を無理に湯船に浸かっているせいか頭が上手く回らず、冷や汗なんだか熱くて出てくる汗なんだかが流れるばかりだ。
「その…これ、は…」
口を開いても紡がれるのは意味の無い言葉のみである。
「おいおい、何かあったのか?」
「うわあっ!!?」
言い淀む小平太を不審に思って、文次郎がおい、と何故か湯船の縁に張り付いて背後を向けたままの小平太の肩に手をやると、その瞬間に丸くて華奢な肩がびくりと大袈裟な程に跳ねた。
「ってお前なぁ、そんなに驚くなよ…」
そんなに急に声を掛けた心算もない文次郎は首を傾げながら、身体を洗おうと洗い場へと出て行く。
「まぁ、何があったかは知らんが、そろそろ上がらんと上せるぞ?」
しゃこしゃこと石鹸を泡立てる文次郎に曖昧な笑みを返しつつ、そんなことを言われても出て行ける訳が無いだろうと小平太は内心で毒づいた。
湯船から出てしまったら何でこの身体を隠したものか、全く検討もつかない。
素肌に触れられてしまった肩はじわりと熱く、意識しないようにすればする程熱を持っていくようだ。
それに本当に上せてしまいそうなくらい、身体が火照ったように熱い。
「………、…も…ダメ…」
小平太の意識は思考の波に、そして身体はお湯へと沈んでしまった。
ブク、と微かな音はするものの、生憎それは身体についた泡をザバザバと流している文次郎には届かない。
文次郎が小平太の異変に気付いたのは、身体を洗い終わってもう一度湯船に入ろうかと振り向いた時だった。
「…小平太?」
ガクリ、と湯船の中で項垂れている同級生に声を掛けても、返る声はない。
「おい、小平太!? 大丈夫か!?」
慌てて湯船へ駆け寄り、湯に沈んでいるその身体を引き上げ―――
「は?」
文次郎は驚愕した。
くたりと力の抜けた華奢な身体は、どう見ても自分とは違う―――というか。
「うおわああああ!!?」
女性、の一糸纏わぬ姿をモロに目撃してしまった文次郎は、先程の小平太とは比べものにならない奇声を発して、思わず引き上げていた手を離す。
すると当然重力に従ってその肢体は再び湯に沈んで行くので、文次郎はまた慌てて小平太を引き上げた。
引き上げた小平太の身体は重く、意識がないことを如実に物語っている。
今は戸惑っている場合ではない…!
人命救助が掛かっているというのに、何をやっているんだ俺は!
しっかりせんかバカタレ!!
一度戒めるように自らの頬を殴り、文次郎は意を決して小平太の膝裏に手を差し入れると湯船から横抱きにして掬い上げた。
抱き上げた身体はとても柔らかい上に上せているせいで熱く、文次郎はあらぬ考えが浮かびそうになる度にそれを必死で打ち消す。
なるべく視線を下に落とさないように気を付けながら脱衣所まで来ると、身体を拭く為の大きめの手拭いを下に敷いてそこへ寝かせ、上から小平太の分の手拭いをかけてやった。
これで視覚的な問題は片付いた、と思って良いだろう。
次は熱冷ましだ。
本当は伊作や新野先生を呼びに行きたいのだが、こんな状態の小平太を放置していくのも、無理に動かすのも気が引ける。
文次郎は身体を洗っていた手拭いを水でよく冷やし、首や頭においてやった。
手拭いは直ぐに熱を持ってしまうので、根気良く何度も冷やし直す。
それから、そうだ、水分補給だ。
上せたというなら、早い内に水分を補給させなければならない。
「………、き、緊急事態だから、な!」
誰に聞こえる訳でもないのにそう宣言して、文次郎は冬場ですっかり冷水と化している水を口に含み、小平太の唇と己のそれを重ねた。
水を流し込んで唇を離すと、小平太の喉がこくりと静かに上下して、ちゃんと飲み込んだことを知らせる。
それを二度ほど繰り返し、手拭いを冷やし直す頃には小平太の体温も僅かとはいえ下がった。
文次郎はもうここまできたらヤケクソだと小平太の身体を拭き、小平太の持ち物にあった寝巻きに使っている白い小袖を一枚着せる。
風呂場から移動させるのに裸のままでは居た堪れないし、万が一他の忍たまにでも出くわしたら何と説明したものか分からない。
ついでにそれだけでは着物の合わせ目が心許ないからと自分の着ていた制服の上着をかけてやり、自分は袴と黒の前掛けだけという格好で抱き上げると、取り敢えず小平太と同室者の長次なら何か事情を知っているだろうとろ組の長屋を目指して歩き出した。
腕の中の小平太を落としてしまわないように気を付けながら歩く歩調は、普段は血の気の多い文次郎からは想像もつかない程にゆっくりとしたものだった。
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