08/19の日記

03:51
*声が聴きたい、今すぐに
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「じゃあ、かんぱーい!」

 高らかに掲げられたビールジョッキが、乾いた音を立てて頭上で交わる。
 ざわざわと聞こえて来る他所の会話をBGMに、取り敢えず生、という定番のやり取りでオーダーしたアルコールを煽れば、漸く会社の疲れから解放されたような気がして、文次郎は首元を締め付けるネクタイを軽く緩めた。
「あー、生き返る」
「お疲れ様ですー」
 席の近い者同士で大皿に盛られた料理を取り分けたり、メニューを回して追加のアルコールをオーダーしたり。
 どのテーブルからも、笑い声が響いていた。
 日頃デスクを並べて作業をこなしているだけでは中々見えてこないような一面を発見できるのも、こういう席ならではというものだろう。
 それはひいては仕事をこなしていく上の連携をスムーズにし、例えば諍いが起きるようなことがあっても、その人物に対する理解があれば状況も変わる。
 そう思えば、たまにはこうして会社の飲み会に顔を出すのも悪くない、と。
 そんなことを考えつつ、文次郎がアルコールを傾けていると。
「そういえば、潮江さんは彼女いたんでしたよね?」
「!!?」
 突然向けられた話題に、度肝を抜かれた。
「えー、潮江さん、彼女持ちだったんですかー?」
「うわぁ、意外だなぁ」
「水臭いですよ、教えてくれれば良いのに」
 途端、周辺に座っている人の視線が文次郎へと集中する。
 皆の反応は、当然といえば当然のものだった。
 毎日の日課であるかのように残業し、仕事の鬼と化している文次郎のイメージには浮いたものなど一つもなく、色恋沙汰とはどうにも結びつかないものなのだろう。
 だが、その実は。
 潮江文次郎は立派なリア充、なのだった。
「潮江さん、付き合ってどれ位になるんですか?」
「…ああ、付き合いだしたのが16の時からだから…」
「うわ、もう結構長いじゃないですか、それ」
「どんな人なんですか?」
「どんなって、…言われてもなぁ」
「可愛い系? 綺麗系?」
「う…あー…、どっちかと言えば、か、可愛い系、か…?」
「えー、マジっすか!」
「え、芸能人で言うと誰に似てる、とかありますか?」
「げ、芸能人…?」
「じゃなかったら何っぽいとか。 犬っぽいとか、猫っぽいとか」
「…ああ、それなら、犬だな。…こう、毛が多いタイプの、大型犬のような奴、と言うか…」
「ちょ、潮江さん、彼女に対して『奴』とか言っちゃダメでしょー」
「でも、じゃあロングヘアーの可愛い系ってことですよね? 羨ましいなぁ」
 文次郎が一言、“恋人”についての情報を発する旅に、周囲からはおお、だの、きゃあ、だのと歓声が上がる。
 人の恋愛事情など聴いて何がそんなに楽しいのだろうと文次郎は疑問に思うのだが、そう言えばあいつら―――かれこれ小学生以来からの付き合いになる友人達にも、自分と“恋人”が付き合うことになったと報告した際には根掘り葉掘り訊かれたものだ。
 あの時も、場所はこの手の居酒屋で。
 情けないことに茹でタコのように真っ赤に赤面してどもりながら報告する自分の隣で、“恋人”はいつも通りのテンションであっけらかんとしていたが、そこには確かに嬉しそうに笑う笑顔があって。
「―――…すまんが、手洗いに行って来る」
「えっ、ちょっと逃げないで下さいよー」
「今いいとこじゃないですかー」
 引き留める同僚の声を流して、文次郎は足早に席を立った。
 トイレに行くなんてのは口実に過ぎず、外へと向かう道すがら、懐の携帯電話を手に取ると、今やすっかり押し慣れた番号を指先で辿る。
「…ああ、俺だ。 もう寝ていたか? …いや、こっちはまだ、飲み会の途中だ」
 店員の脇をすり抜け、会計を素通りして外へと出れば、周囲の喧騒が遠くなって、携帯電話から聞こえて来る“恋人”の声が、漸くクリアに聞き取れる状況になった。
 それは、アルコールに酔った文次郎の頭に、世の中の何物にも遮られていないかのような、そんな気分を味わわせるには、まさにうってつけで。
「いや、特に用があった訳じゃないんだが、…ただ…」
 電話の向こうの声が、何か用かと問うてきて、文次郎は一瞬、言葉を濁す。
 別に、急を要するような用事があった訳ではなかった。
 ただ、同僚達に色々と訊かれ、その度に“恋人”のことを考えながら話しているうちに。

「お前の声が聴きたくなったから、電話した」

 もんじろう、と。
 どこか舌っ足らずに、自分を呼ぶ声。
 それを無性に聴きたくなったと思ったら、気付けば席を立っていたのだ。
 日頃の自分であったなら絶対にしないような行動であるし、先程の台詞にしたって、日頃の自分であったなら絶対に吐かない種類のものであることも、重々に自覚はしていたが。
 何か用かと問われれば、答える言葉はそれ以外にはありはしない。
『………〜〜〜っ!!』
 そしてそれは、遠く離れたある場所で。
 “恋人”からの電話に応じた青年に、これまた日頃の彼であったなら絶対にしないであろう、顔を真っ赤に染め上げて絶句するという、何とも乙女チックなリアクションをさせることになったのだが。
 その事実を文次郎が知るのは、まだ少し、先の話だった。

――――――――――――――

文次郎は絶対に仕事の鬼で、OLさん達からは
「潮江主任のプライベートって、どうなってんだろうね?」
「さぁ、だってあの人って仕事が恋人ってカンジでしょ?」
とか言われているイメージで書いています。
恋人はもちろん小平太です。
それらしい描写皆無ですけど、うちじゃあ比較的甘い文こへなんですよ、これでも←

まだまだ暑い日が続いてますね。
暑中お見舞い申し上げまーす!

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